ずっと信じて尊敬していた母親に対する違和感の正体は「嫌い」という感情だった!もはや社会現象?というくらいに悩む女性があまりにも多くて驚愕してしまったのです。
今回は母親が嫌い!という衝撃のストレスに気が付いてしまったあなたに贈りたいメッセージを考えてみました。どうしたら良い?「迷子」になってしまったら。
少しでも参考になるような事例や理由を実体験した個人的な立場も含めた視点で考えます。たとえ親子であっても「性格」がなんとなく合わないな~と思っていて違和感な毎日でした。
でも本当の「真実」は別にあってフタをしていたんです。開けるつもりの無かった真実の箱を間違って開けてしまう事態に。激高する母親にますます嫌気が。
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母親とは親子だし家族だから信頼するのが当たり前
「母親を尊敬している」というフタで全てのことを覆い隠してしまうんです。「良い子」でいなければ信じてきた事がウソになるから。でもフタを開ける時はいつか到来するもの。
ある程度の覚悟はしていたものの見てはいけないと思い込んでいた「現実」の世界を目の当たりにした時の衝撃と言ったら。涙がとまらないくらい感情を揺り動かされます。
母親が嫌いなことを認めちゃいけないって思っている
とても複雑で簡単に説明できないけれど苦しい現実と対面することに。違和感は「嫌い」という感情だった!というショックな発見は本当に認めたくないけれど現実。
認めたくない「感情という箱」はコワいし見たくない!後悔しそうな気がして。本当の「感情」そのものを必死にフタをしてしまっているけど無意識だから理由はわからないまま。
目の前にある不安を見なくても済む方法を編み出す事はとても上手にできます。「尊敬」や「信頼」というコトバの壁を作って出来る限りの対策に取り組むんです。
内なる声に気づいたあなたは今どんな気持ちでしょう?気づきの「理由」と「原因」とは?現在進行形である私と共に紐解いて苦しみとの向き合い方を探っていきましょう。
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母親が嫌い!ストレスなら癒してあげよう
まず母親が「嫌い」だと気づいた瞬間あなたはショックを受けたのではないでしょうか?今まで気づかないまま生きてきたんですから当然のことです。
とても大変でしたよね。あなた自身が無意識に背負ってきた重い荷物はもう必要ありません。母親が嫌いだと気が付くまでに時間がかかった分その時間と同じくらいの重さを実感するはず。
それでは「母親が嫌い」という感情に気づいた時に我が身を癒せるポイントをご紹介しましょう。
- 嫌いだと気が付いたあなたを褒めてあげること
- 「嫌い」に注目しすぎずに「好き」だと思っても良い
- 少しずつ無理のない範囲でラクだと思える方向を見つめること
あなた自身を褒めるなんて慣れていなくて戸惑うでしょう。でも褒めてあげていいんです。最初は「褒め方を教わってないからわからない」という感情がわいてきます。
褒め方がわからないのは私も同じでしたから。褒め方を教えてくれるのは「無垢な赤ちゃん」の存在なんです。ココロの中で想像してみたり友人の子でも誰でもOK。
ごく自然に学習できるならペットでもOK。純粋な無邪気さが「許すこと」を教えてくれる存在。無垢な赤ちゃんやペットは話して伝えることができないから一生懸命でひたむき!
手足の動きで懸命に伝えようとする無垢で純粋な存在には癒されます。すぐ褒められて「カワイイね~」と言われたり。記憶の中に客観的な瞬間が見えればチャンス!
あなた自身はただ遠くから見ているだけ、という感覚が初歩をクリアできた証。その距離を少しずつ縮めていきましょう。「ゆっくり・毎日・ふと思いついた時」がポイント。
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母親が嫌いになったのはなぜ?
嫌いになるということは「それなりの理由」があるから。ひとつずつ理由を挙げてみると苦しんでいた度合いが判明。最初は少ししか見つからないかもしれません。
嫌いだという理由に迷った時にチェックしたいこと
- どこまでも過干渉
- いつまでも過保護
- その都度「恩」を着せられてきた
- しつけは怒られること
- 母親の夢に生かされる人形
理由は書ききれないほど沢山出てくることも。この世に生まれて一番近くて尊い存在である母親が嫌いになったからと言ってそう簡単に列挙できるでしょうか?
気持ちのどこかで後悔をしてしまったり。ストレスを感じつつも気のせいだと言い聞かせていたのに。つい最近まで育ててくれた恩をかみしめて生きてきたから当然です。
むしろ「慕う理由」の方が簡単にポンポン飛び出てきそうですね。でもある日「母親のことが嫌いなのかも」と気が付いたこと自体が大きな第一歩なんです。
傷つき体験のこと
- きちんと育ててもらった記憶がない
- 家族やきょうだいの中でいつも後回しにされた
- ひどい態度やひどいコトバをあびせられた
母親のことが嫌いになった理由は「傷つき体験」の中に見えてきそうな感じがします。主な理由から思い当たることはないか探っていきましょう。
本当の自分を取り戻したい
- 親離れと子離れが出来なくてイイ子のまま
- コントロールされているから自由を知らない
- 干渉されることが愛情だと勘違いして真実が見えていない
通常「親離れ」「子離れ」はそれぞれに成長して自立していくというのが自然な流れのはず。でも親が子供から離れられず子供が自由になれない現実があります。
しかも両者に自覚がないのでコントロールしたがる母親と従うのが当たり前だと思う子供の関係が習慣化。束縛したりされたりすることをお互い認識していません。
何をするにも干渉されるので自由を知りません。まるで母親の所有物のように扱われてきたことも不自然だとは思わず。突然「お荷物だから」と突き放されてもオロオロするだけ。
物心ついた時から母親の理想を押し付けられ人生のレールまで敷こうとします。「夢を託すから」というのは見せかけ。一生懸命にやる気を示しても無視され悪循環。
「もっとしっかりしなさい!」という威圧的な言動が日常。いつしか子供なのに家族を引っ張る役割に。出来なければ許されないというプレッシャーと毎日格闘します。
こんな毎日が続いたら疲れ切ってしまうと思えるのは当事者以外だから。あなたは疲れを知らずに懸命に生きてきました。だからあなた自身が「一体何なの?」と思うのは当然。
いつも否定される
- どんなに頑張っても足りないと言われる
- ココがダメ!というダメ出しばかりされる
- 常に部分否定か全否定で認めてもらったことがない
そう言えば褒めてもらった記憶がないというパターンです。努力しても認めてもらえず「ダメ」という指摘ばかり受けてきたので否定することが得意になってしまいます。
頃合いを見計らって少し反発してみるとすぐ怒られ「これが教育」だと正当性を主張され「しつけ」だと誤った認識に至ってしまう。だから無意識に防御する方法を覚えるのです。
「テストの点数が良かった」「クラスの順位が上がった」と喜びの報告をするのが子供ゴコロなんですが、褒められない。逆に他の教科がなぜ出来ないの?と責められる始末。
自発的にやろうとすると必ずダメ出しを受けます。出来ないことを見下して更に出来ないように仕向けるのが常套手段。褒めることは一切ありませんから記憶がないのも当然。
母親が執拗なまでに否定するのは価値観の違いを認めていないということです。むしろ認められないのでしょうね。きっと母親も否定されてきたからと視点を変えてみると。
容易に推測できるのは母親の親の代から続いていること。ともすれば祖父母の代もその前の世代も。いつからか当たり前のように連鎖が始まっていたのでしょう。
歴史からの避けられない記憶と対処法
考えてみれば遠い昔の日本は鎖国や戦争という時代を経てきました。その時代の中で「美徳」とされていたことが「連鎖」として歪んた形になってあらわれたのでしょう。
世間体を気にしすぎるのも時代のなごりだと言えるのかもしれませんね。ただ現代社会では通用しないことを念頭に置きたいもの。「否定」が生きづらさを倍増させているなら。
疑問を持って一度立ち止まってみましょう。山を登る時には山小屋で休憩しますね。人は目の前に現れる頂上の素晴らしい見晴らしを目指すために体力を温存する必要があります。
愛情の記憶が無いから
- 子供時代に構ってもらった記憶がない
- 甘え方がわからないので泣くか執着するかの両極端な行動に出る
- 恋愛が終わる時に謝っても許されないと後悔する
そもそも子育てをしてもらった記憶が抜け落ちたような感覚です。小学校の低学年ごろまでは一番甘えたい時期。人として成長する大切な過程で甘えを知らないままだと。
大人になってから愛情に飢えていることに気づきますが大抵の場合が無意識な状態。気づいたことに気づかないという矛盾から困った行動に走ってしまうことも。
あなたが誰かの前で泣いて甘えてしまうのは無意識の中で気づいているから。ずっと寂しかったんですよね。恋する気持ちとは別に必死に甘えようとしていることに気づいていますか?
恋に恋しているようにも見えるのは無意識の気づきのせい。あなたの恋する感情はどこにあるのでしょう。母親の愛情不足を埋めようと必死にもがいてしまいます。
本来与えられるべき平等な愛情
厳しく育てられたので恋する相手をちゃんと選んでいるようにも見えますが実は甘えられる相手という選別基準が根底にあるんです。だからケンカの仕方が少し違うことも。
別れ話の時には恋愛以前に捨てられたくないという気持ちがとても強くなります。どうにかして許してほしい!でもあなたは悪くないのに謝る理由を探していませんか?
ストレスは違和感だった?原因はコレ!
母親にどれだけヒドイことを言われても「私が悪い」とあなた自身を責めていませんか?積み重なる罪悪感は知らない間にストレスという高くそびえたつ壁になります。
ココロの奥で「?」マークが確実に渋滞している状態。常に矛盾を感じていましたよね。いつしかストレスという違和感だと確信になっていき原因らしきものが目の前に!
すぐに自分を責めてしまう
母親が嫌いという感情に至るまでの記憶をたどってみましょう。以下のようなことを常に言われてプレッシャーを与えられていませんでしたか?
- どうせ何もできないクセに!
- ちっとも反省しない!
- 悪いという自覚が足りない!
小さい時からずっと言われ続けると果たしてどうなるでしょう。あなた自身が自ら否定するようになってしまいます。認めてもらったことがないからあなた自身も許せない。
本当はちゃんと出来ているはず。反省すべき時には謝ることだって知っていますよね。しかも悪くないのに悪いという「自覚や感覚」を持つ「必要も理由」も全く無いんです。
誰にも何も言えなくなる厳しい「しつけ」
「しつけ」と称して自らの行動を全否定されることは悲しいことです。結果がすべてのような過剰な反応や言動は本当に傷ついてしまいますよね。
- 弱音は言い訳だからダメ
- よそで余計なこと言ったらダメ
- うるさいから話すのはダメ
発言することさえ恐怖になってしまうほどの「ダメ」攻撃!抑えつけられてしまうと何も言えなくなってしまいますね。いつしか他人の顔色をうかがってしまうようになったり。
言ってはいけないと我慢してばかり。とても苦しかったですね。沢山言いたいことがあるのに言えないってツラい。ツラくて苦しいけれど我慢し続けるからストレスになります。
蓄積されたストレスに気づく余裕さえもなくてまるで「苦行」をする修行僧のようです。どうしてこんなにツラいんだろう。わからないけどとてもツラくてやり場のない気持ち。
発散する人や場所がない
母親に全否定された経験を持つ人は人や場所に対する恐怖感と常に隣り合わせになってしまいます。ですから本来子供らしくストレスを発散する方法が失われていくのです。
- すぐ怒られるので「きょうだいゲンカ」もできない
- 愚痴を聞いてほしい!でも母親が怖いから他人はもっと怖くて言えない
大人になってから母親から解放される時間が増えると発散できる場所や人を探すようになります。でも長くは続かない、なぜなら相手も大人だからです。
最初は興味本位で発散する場所を提供してくれたり相手になってくれたりするので「この世には良い人がいるんだ!」と勘違いしたり相手の意図を履き違えたりも。
波が引いていくようにス~っと人々は消えていきます。それは普通に成長することができた大人だから。大人としての正しい判断ができるからこそ見習いたいもの。
見習ってできるくらいならこんなに苦しんだりしないですよね。大人対応が出来る人がうらやましいですか?その前にあなたは「ひとつの個」であることを忘れていませんか?
母親が嫌い!ストレスから解放される考え方
嫌いだという感情に気づくまで母親の役割を見事にこなしていたんです。あなたは自分自身を保つために必死だったはず。母親との癒着が生きていくために必要だったから。
母親と子供がお互い依存しないと生きることさえ苦しくなりそうでとてもコワかったんですよね。あなたが自由になるために私が実践していることをご紹介しましょう。
何よりも最優先したいこと。それは許すことです。あなた自身がすべてを許す。とても苦しい選択なのは私が一番理解してますから。最初の一歩が成長に繋がります。
最初の小さな一歩を見出せたら物事は必ず好転し始めます。目の前が苦しいことだらけだとしても。人は前にしか進めません。なぜなら過去に生きることはできないから。
母親とあなたを切り離してみよう
- 母親とあなたは全く別のイキモノだということ
- あなたはひとりの「個」であり人間であること
あなたは母親にあなた自身の姿を投影していませんか?母親とあなた自身を重ね合わせていたり。母親以上に大きな責任感を背負っていませんでしたか?
母親と子供の立場が逆転してしまっている場合。軌道修正は少しずつ目に見えない速度なので簡単ではないんです。目標は母親をひとりの人間として見てあげることです。
ココロに距離を置いてみよう
- モノゴトを客観的に見てみる
- 人も客観的に見てみる
- 母親を客観的に見てみる
まずは身近なモノから客観的に見る事はできますか?共感するモノに対して冷静な判断をしてみたり。いつも見ているTVドラマに感動するあなた自身を遠くから見るイメージ。
客観的視点を学べるとココロの距離がはかれるようになります。多くの意見は物理的に離れることでココロの距離も離れると言っていますが果たしてそうでしょうか?
物理的に離れてもココロが離れない限り苦しい気持ちは変わらないというのが悲しい現実。まずはココロの距離を少しずつ離れたところに置いて様子を見てみましょう。
母親を嫌いでも良いと考えてみよう
- 親を大切にしましょう、という文化を尊重することを否定する必要はありません
- 母親があなたを産んでくれたことをあなた自身が受け入れてみましょう
- あなたは母親が嫌いだという事実をあなた自身が受け入れてみましょう
あなたは育ててもらったかもしれない記憶さえも消し去るほど苦しい思いをしてきましたね。ツラいけれど嫌いになることは許されないと思ってしまうのは私にも理解できます。
母親が嫌いだという素直な気持ちと向き合ってみませんか?そうすると許せないこと許されないと思う気持ちは少しずつ減っていきます。「嫌い?」「嫌いじゃないかも」と思っても良いんです。
まとめ
ツラい気持ちのまま読み進めてくださったあなたに敬服します。とってもお疲れではありませんか?ゆったりした気持ちで癒しポイントを少しだけ振り返ってみましょう。
- 嫌いだと気が付いたあなた自身を褒めてあげましょう
- 嫌いでも好きでもどちらの感情を持っても良いんだと気づきましょう
- 少しずつ一歩ずつラクだな~と思える方向に向かってみましょう
- あなたは確立されたひとりの「個」であり人間だということを思い出しましょう
長年の傷がすぐに回復したらいいのに、という焦る気持ちが出てしまうかもしれません。私もそうでした。ただ癒すために少し必要なこと。
それは「焦り」は禁物だということなんです。焦らずに済む方法を詰め込みすぎないように読める素晴らしい本があります。見やすい単行本サイズは中古として購入は可能です。
さらに加筆した文庫版もあります。
文字の羅列に抵抗がある私自身も「ふと思ったとき」「何気なく」今日の日付のページを開くだけ。斜め読みでも気づきのワードがスっと入ってくる詩集のようなイメージ。
本の評価ってとても気になりますよね。私は臨床心理士の先生から「オススメよ」と言われたわけではありません。なぜなら徹底的な傾聴姿勢なので。
何度かタイミングを見計らってやっと聞き出すことができた本です。それだけに文庫本サイズなのに気持ち的にものすごく重い。それくらい大切で手元にいつも置きたい存在。
一冊手元にあると無いとでは大違いだと実感してます。結論は急いで出す必要はないと教えてくれているようで。とても心強い気持ちでいられます。
癒すための時間はあなたにとって必要でとても大切なもの。癒しに時短は無用ですし不可能だと実感したからこそ「ゆっくり・毎日・ふと思いついた時」がポイント。
世の中には困っているあなたを応援してくれる専門家が必ず存在します。相性の良い専門家とよりよいココロの癒しに向かって相乗効果が得られるのが理想の形。
私もいま専門家に守られつつ「苦しみ」や「悲しみ」と共に回復という階段をのぼっています。この記事を読まれたあなたが少しでもラクになれたなら幸いです。
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ようこそ!縁起物が大好物の松風寿那です。ココロを癒すキレイな色彩で文具から雑貨まで揃えてニンマリ。【好きなモノ】マルチーズ・映画・ドラマ・音楽・お絵描き【寿那的思考】恋愛や人との関わり方について体験を軸に生きるコツをご提案!文字・イラスト・音で表現活動しております!プロフィールはこちら