2018-11-01

ココロの闇を見た!果たして最強のアイテムになるのかを模索してみた

とっても悲しいことなんですけどココロが痛くて痛くてどうしようもないことって逃れようなないんですね。四方八方を壁に囲まれたみたいでもうどうしようもないそんな経験はありませんか?

 

 

その時は確かにとってもツライんです。でもその経験がもし将来の自分自身の強みになるんだとしたら。淡い期待を未来に託すようなつらい毎日と試行錯誤した経験から最強アイテム化を試みました。

 

ツラいけれど同じような体験をした人に少しでもラクになってほしい!そんな考え方から誰もが活かせる最強の策を見つけました。

 

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ココロの闇が痛くて悲しい

 

ココロの痛みと、どのように付き合っていけばいいのでしょう。もしかすると、ブログで発信することでココロの痛みを癒せるかもしれない!唐突な発想なんですけどね。

 

ココロが痛いとメンヘラとか言われたりして凹みます。だからメンヘラ全開と割り切るのも難しい。コワいからです。でも思い切ってココロの痛みと向き合って書いてしまいましょう。

 

ココロの闇ってなんでしょう?問いかけてみたとしても答えなんて出ないんですよね。まだ自覚している時間はマシな方です。自覚がない時はどうでしょうか?

 

ココロの闇に包まれたままで抜け出せない状態なんです。

 

常識ってなんですか?

 

ココロが闇の中で右往左往しているときは世の中の常識を考える余裕がありません。常識が何なのかまったくわからないんです。正体不明の状態でココロの痛みに苦しみ続けているんです。

 

このままでは、常識的にも考えられず答えも出ないかもしれません。

 

闇を吐き出してしまおう

 

今ココロが痛いという事をどんどん言ってみましょう。我が身に問いかけるように甘いコトバを言ってみて気が付きました。言ってみましょうっていわれても、どうしようってなるんです。

 

なぜなら優しくされたことがないからです。優しさに慣れていないんです。ココロの闇は深いんです。だけどいざ痛みを表現するとなると難しいですね。

 

無に集中してみる

 

ココロの闇と向き合うために一度静かな場所で何も考えないことにしました。何も考えない、という計画中にかならず邪魔が入るんです。集中するって難しいですね。

 

集中する気持ちが、どんどん消え去っていきます。何をもって闇を吐き出すということになるのでしょう。今のところひたすら記事にすることなんじゃないかと思うんです。

 

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ココロの痛みって役にたつの?

 

 

感情を出したところで単なるストレス発散だって言われてしまうだけ。闇を吐き出すことって本当に健康のためなの?って疑われそうです。でももしそう言われたなら速攻で言い返してみたいです。

 

「いや!健康じゃないからこそストレス発散になんてなりませんから」

 

でもココロの痛みはどこからくるんでしょう。闇の中にいると見えないことが多くて困るんですよね。

 

闇を切り売りする?

 

売るなんて、とんでもないです!そんなことしたら、単なる押し売りになってしまうでしょう。違うなんて言えます?闇を切り売りするなんて、本当に人の役にたつんですか?

 

「感情商売」なんて言ってしまったら、アヤシイですよね。その時の感情を綴るってことだけ、ただそれだけのことなんです。それさえ正当だなんて、思わないです。

 

そもそも正当化するつもりもないんです。

 

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自らの悲劇、それは他人の餌食

 

人の不幸は蜜の味なんて表現がピッタリだと思いますね。悲劇ネタを披露したところでどうなるんでしょう。まともに闇と向き合っているのにさらけ出すなんてコワすぎます。

 

考えたくないですし。でも悲劇ネタに共感を得られるのかということなのかもしれませんよね。あるいは共感どころか冷やかしの対象になるのが関の山かもしれません。

 

悲劇に出会った衝撃を伝えたら冷ややかな視線にさらされてハイ終了!そんな声が聞こえてきそうです。今世の中にどのくらい共感という感情を持っている人がいるんでしょうか。

 

それさえも疑問で答えは出ないかも。

 

不運だと思っていると足をすくわれる

 

要するに油断している状態なんです。油断のかたまりってことです。誰かにまともなアドバイスを求めるなんてお門違いって感じですよね。油断のかたまりだから簡単になぎ倒されるワケです。

 

弱すぎ、あまりにも弱い

 

この瞬間にも悪代官のような人に狙われたらもう消えてしまいそうです。不運だと思いこんでいないかですって?ビクビクして過敏に反応してしまうのは不運が重なり続けているからです。

 

悲劇の主人公になったような気分になってしまうのはなぜ?ココロが痛くて弱っているからです。弱いから恐れを予感してしまうんです。基本的にわかってはいるつもりでも。

 

最初から不運だなんて平常心でいながら思わないことです。

 

不幸の連鎖は広がる

 

人の不幸ほど、読んでいて楽しいことはないはず、ですよね。だって、その人を自分より「下」に見る事ができるからでしょう?人の不幸な話を、聞いたり、見たりすると、どんな感情になりますか?

 

不幸な話を聞いてほしい、なんてヒトは、確かに数えきれないほどいますよね。同情を得たい、そんな気持ちもあるでしょうね。たいていは、同情という気持ちが欲しいだけだったりするんです。

 

人って、基本的に寂しがりやですよね。ただ、気を付けたいことがあるんです。不幸は連鎖するってことなんです。そうです!知らない間に、あなたの身体を蝕んでいるかもしれません。

 

恐るべき連鎖の世界

 

全く人の不幸の世界だからって無視していたらどうでしょうか。人の闇の世界を完全に油断しているとどうなるでしょう。ちょっと周りを見回してみたらすぐに見つかるんです。

 

とんでもない不幸を背負ってます感満載の人いますよね。明らかにこれ見よがしな場合は気を付けましょう。その人からの連鎖するチカラは強力なものですから。

 

明日は我が身という言葉がありますよね。注意するに越したことはありません。

 

絶望の淵に立たされたとき

 

誰も助けてくれません。所詮他人は傍観者。他人だけならまだ関係ないからマシです。もし身内にさえそっぽ向かれたらどうしますか?人生自体をそもそも否定された形になるわけです。

 

「人」という形で生きるということを拒絶された感覚。さらには行きつくところ泡となって消えてしまおうかって思うことも。もはや勝手に終止符をつけられたようなそんな気さえしてきます。

 

・毎日悲劇が起こり続ける
・事あるごとに、不運にみまわれる
・気が付いたら、不幸の連鎖に巻き込まれている

 

「絶望」なんてコトバがありますよね。まさにそのものです。ココロの痛み、闇につながっていって絶望するんです。

 

まとめ

 

  • ココロの闇は最強となるの?

 

現段階での答えとして結論としてYES!と宣言します!でもココロが痛い時にはYESと言い切れない部分があるのも確か。理由は納得がいかないことが山ほどあるからです。

 

闇の部分を売り物にしていいのか迷います。売り物というよりもさらしモノですよね。明らかな理由があるとしたら理由に確信があったらどうなるでしょうか。

現時点で言えること思うことはあるので今回は結論としてみようと思います。

 

闇は世間の常識に当てはまる場合に限り有効

 

世間の冷たい視線は実際にこの世にあふれています。だから本当の意味で伝わるということは難しい。これが今回の結論です。消費者至上主義的な概念がある以上は世間の常識が基準。

 

闇を売ることで成り立つ場合乗り越えたからこそ言えるんだと思うんです。乗り越えた人が勝ち取ったモノなんです。本物かどうか見極めるチカラは必要ですよね。

 

深すぎる8割問題

 

現代社会に生きる人の8割が、忙しさから闇に気が付かない人です。闇の真っただ中にいることを自覚しない人たちなんですよね。ですから残りの2割に訴えるしかないんです。

 

そうなると至極狭い世界の中での話に尽きてしまいそうです。8割からの冷やかしに耐える日々が続くかもしれません。8割が多いのか少ないのかの感覚にもよりますが。

 

今回は8割という数字に基づいて考えてみました。闇は深い。深いから強くなれるのかもしれません。闇の深さが深ければ深いほど、最強になる可能性を秘めているのだと言えます。

 

大切なココロの痛みを闇として簡単に売れるものなの?簡単にココロの闇を公開していると思われるのも心外ですが。すばらしい語りをしている人は沢山います。

 

負け惜しみを言いたくないので是非いつかステキなココロの闇のお話をご紹介したいと考えています。

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