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生きること

生きづらさの原因を「考え方次第」で結論づける極論に異議あり!

2019-07-21

最近本屋さんに行くと「売れてます」という陳列棚にズラっと並ぶタイトルに、少なからず恐怖感を抱くことがありました。それは「生きづらい人への本」の存在。

 

 

生きづらい人のための本が激増していることは驚きです。例にもれず生きづらさを感じている張本人として、少し興味もあって本を一冊手にとってみました。

 

視力が落ちていたせいか近くで目にした本の表紙やタイトルをみた瞬間に罪悪感がこみ上げてしまい、同時にこれらの本は本当に生きづらい人に対して書いてくれているだろうか?という疑問がわいたのです。

 

そもそも流行りの本扱いをされていること自体は、現実に生きづらい人がいるというメッセージにはなると思います。ただし広告やCMのように生きづらい人が増えてますよという類のメッセ―ジとして。

 

逆にアピールするのにソレ必要ですか?なんて思ってしまったのです。

 

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そもそも生きづらいって何?

 

 

生きづらさに原因はあるのでしょうか。そもそも生きづらさって何?って思ってしまいますよね。生きづらさを身体の一部として生きてきた当事者としてはそれなりに模索だって沢山してきたワケです。

 

なぜこんなに生きづらいんだろう・・・

 

家にいても自分自身の居場所がなくてツラくて、一歩外に出ればいじめられてツラくて。生きづらいって居場所が無いことに等しいとさえ思うんですよね。

 

当事者として比較対象はないものの、今回本を手に取ってみて感じたことは恵まれているということ。それは唯一の逃げの場所があるから。自室という部屋があって引きこもることができる。

 

唯一の場所であっても現存する居住空間に恵まれていて、その場所でだけなら涙を流すことができる。生きづらくて常にツラい人にとっては本当に必要不可欠な場所。

 

生きづらさを抜け出せない環境

 

確かに逃げ場所があるという当事者にとってはマシな環境だと最近知りました。むしろ刻々と移り変わる時代の変化に、マシな環境は唯一恵まれた環境となっていくのです。

 

抜け出せない環境というのは悲しい現実のこと。今でもその部屋を一歩でも出ようものなら、トイレにだって洗面所にだってお風呂にだってどこにでも現れるコトバの壁。

 

悪意のあるコトバを身にまとって目の前に立ちはだかる壁。その壁が現れる度にトイレを我慢したりお風呂に入れなかったり。とにかく慌てて避難しなければならないからです。

 

生きづらいイコール息をするのもツラい

 

何気ない日常で風や日光をあびたりして自然に息をすること。これを当たり前だと思う人は普通だと思います。ただ生きづらい人の中には普通に息をすることさえツラいというのも事実なんです。

 

生きづらさは個々によってレベルや段階といった考え方次第で違うということもあるでしょう。なぜ生きづらいのか分からずにずっと生きてきた当事者としては、今更ながら原因を探るしかない状況に。

 

体調を崩したというきっかけもありますが。やはり本屋さんで生きづらさの本を目の当りにした衝撃に出会ってしまったから。そして生きづらさのアピールとは必要なのか疑問に思い始めたからです。

 

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生きづらさの原因が考え方次第?

 

 

嫌悪感や罪悪感の中でパラパラと本をナナメ読みしてみて驚愕したことがあります。たまたま手に取った本によれば「要するに自分次第ですよ」という話で完結しているわけです。

 

長年生き方を模索してきて未だに答えが見えてない当事者としては唖然とするしかなくて、むしろ文句をつけたくなるような原因解明でした。考え方次第で生き方が変わる?

 

考え方次第で生きづらさがラクになる?では常に客観的に考えたり角度を変えたりして考えている人はどうしたら良いのでしょう。個人的にツッコミどころ満載で気持ち悪くなってしまいました。

 

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考え方とはプラスかマイナスかの二択?

 

 

プラス思考とマイナス思考とは一般的に正反対だと言われたりしています。でもプラス思考になれる環境ばかりが良いことなのでしょうか。モノゴトはすべてが表裏一体なんです。

 

プラスのウラにはマイナスが常に付きまといます。ただマイナス思考の世界にドップリと浸かりきって生き抜いてきた当事者としては、簡単に考え方の変換ができません。

 

頑張っても報われないという理不尽

 

プラス思考なら、いわゆる前向きな考え方になれると言われたりします。それゆえに生きづらさから逃れる方法のひとつだと例えられて困惑してしまうことも。

 

■職場に置き換えての例え話

職場の先輩から依頼された企画書。張り切って提案するも努力むなしくアッサリと却下された時、プラス思考になれば良いのかという問題ですが。

教科書通りの前向きに考えるなら、たとえ却下されてもテンション下げずに「もっと良い企画書を作って先輩をビックリさせてやろう!」という闘志を燃やすという解釈の仕方。

 

そもそも先輩に企画書を提出した段階で既に最善を尽くしているワケなので、これ以上のモノはできません!という気持ちで挑んでいる状態。渾身の企画案だという前提がないようなもの。

 

生半可な気持ちで適当に仕事をしているわけがないのですから、アッサリ却下なんてされてしまったら当然落ち込みます。相手が職場の先輩なら尚更というもの。

 

プライベートならともかく職場という組織の中において、先輩という存在がイヤであっても尊敬できる人でもボツにされたショックから受けるストレスは同じなんです。

 

一生懸命であればあるほどショックは大きく立ち直れない可能性も多いにあり、何もかも放り出して逃げ出したくなるくらいに気持ちはどん底まで落ち込みます。

 

モノゴトは極論ばかりで解決しない

 

考え方次第で生きづらさという厄介なものをコントロールできるのなら、もっと早い段階で人生バラ色になっているはずです。プラスかマイナスかの二択だとしたらマイナス一直線。

 

ただし二択という極論での話であればという前提条件のもとでのこと。厳密に言うなればプラスとマイナスの間にモヤモヤって存在があるものなんです。

 

プラスにも考えられないこともなく、だからといってマイナスにも考えられるし。どっちでもないから一体どうしたらいいの?っていう状態がモヤモヤ。

 

考え方には中間のモヤモヤもある

 

 

モヤモヤの正体は一体どこからやってくるの?と探してみると、案外一番近くにあったりします。自らのココロの中にどんよりとへばり付いていたりするもの。

 

モヤモヤさんがココロにべったりくっ付いていると何事もプラスに考えられないですし、マイナスに考える以前に「あ~、なんかもうヤダ」ってなります。

 

そんな宙ぶらりんな状態。今や死語ですけど「ファジーなイキモノ」が人間ですから。プラスかマイナスかどっち?という決断を迫られるほど、どっちの考えにも変換できなくてモヤモヤがやってくるのです。

 

モヤモヤさんはココロのどこかに潜んでいるのでいつでもヒョッコリやってきます。というよりも居座っているのかもしれません。そうなると中間のモヤモヤって何?なぜ?ということになりますね。

 

頑張り屋さんのココロにはモヤモヤさんがやってくる

 

 

生きづらいと思っているタイプは普段から一生懸命なんです。人一倍頑張り屋さんだったりします。だから大抵余裕がありません。肝心な時こそココロに余裕って必要なのに・・・。

 

通常はココロに余裕があれば考え方の変換や熟慮さえできるでしょう。余裕というココロ構えがメリットやデメリットの比較や考え方の派生が行えるんです。

 

冷静さを保つこともできます。職場でダメ出しされた時に少しの余裕さえあれば振り返りも可能です。反省点の洗い出しができたり見直しだって出来ます。

 

職場の先輩というだけで緊張したりプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、懸命に企画書を作成するのです。生きづらいからこそのチカラでひたむきさは半端なものではありません。

 

でもココロに余裕がないと職場の先輩にジャッジされた残念な結果をいつまでもひきずってしまいます。ではココロの余裕を得るにはどうしたら良いのでしょうか。

 

ココロに光をあてるには幸せ感を探す

 

 

どんな人でもハッピーな気分になる時があります。幸せな感覚、略して「幸せ感」です。その感覚がどこにあるのか、どこからやってくるのかを探すことから始めてみます。

 

でも部屋に引きこもっているから探せないよ!なんて思ったら一度周りを見渡してみましょう。空間に何もないということはありえませんよね。手が届く範囲に見えるものがありますか?

 

引きこもり当事者として身の回りのモノは常に手の届くところに配置されていたりします。それが経験者としての現実です。では身の周りのモノの中にキラリと光るものを探してみましょう。

 

何気なく手に取ってみたものに幸せ感を感じられるモノがあるかどうかです。動けないなら見渡してみるだけでも探すのと同じ行動が出来ます。いかがでしょうか?

 

  • お気に入りのぬいぐるみ
  • お気に入りの本
  • お気に入りのフィギュア
  • お気に入りのブランド品
  • お気に入りのアイテム

お気に入りを単なる「気になるモノ」に置き換えてもOKです。とりあえず手に取ってみてどう感じるでしょう。ここで案外バカにできないのは無意識の感覚なんです。

 

一瞬タイムスリップできるような感覚、懐かしいような感覚を味わえたならしめたものです。それが幸せ感の入り口だから。なぜお気に入りになったのかを回帰してみましょう。

 

なぜ気になったのか少し考えてみましょう。何気なく無意識なモノほど出会いのシーンを思い出しやすいのではないでしょうか。もしかしたら思い出せないかもしれませんけど心配無用です。

 

ココロに光があたる瞬間は戸惑うはずですから。なぜなら閉ざされている期間が長すぎてその眩しさに慣れていないから当然のこと。思い出した瞬間に涙が出てしまうかもしれません。

 

思い出せないのも閉ざされた扉が重すぎてツラくなってしまいませんか?涙してしまうのも全て慣れていないからなんです。もし少しでもキラリとした光がココロに芽生えた時。

 

その瞬間こそが幸せ感を取り戻した証拠だと言えるでしょう。最初の感覚がとても大切。忘れないようにしたいものですし、きっと忘れられない瞬間になるはずです。

 

考え方という視点と融合させてみる

 

 

実体験から言えることは「いつも否定してしまう」「肯定できない」困り感は全て成長過程で得たものです。

  • いつも人の目を気にしてしまう
  • いつも自信が持てない
  • いつもマイナスの沼にドップリ浸かって抜け出せない

ひとつでも当てはまる項目はありますか?成長過程において常に親の目があり世間体を考えるように、と言われ続けたりしませんでしたか?いつも努力しているのにダメ出しされていませんでしたか?

 

今まで本当に大変だったでしょう。本当にいつも困り感たっぷりで優柔不断だと誤解されたりツラいですよね。生きづらい原因を過去の環境が影響しているのです。

 

過去の環境が今のツラい環境につながっていて余計に生きづらくさせていたりします。でも一瞬でも感じた小さな光やかすかな記憶に感じた幸せ感と融合させてみるとどうなるでしょう。

 

記憶とつなげてみる

 

融合なんて簡単に言えてしまいますが本当は大変なことなはずです。イヤなタイミングはいつも予期せぬ時に訪れますから。誰にも邪魔されない空間に引きこもった時でいいんです。

 

孤独になれる空間が一瞬でもあればその瞬間を逃さずに回帰してみましょう。お気に入りのモノを手に取った時の幸せ感を思い出してみるとどうでしょうか?

 

回帰というと難しいイメージがありますか?それならフワフワしたパステル色の世界に気持ちや想いをはせてみると、どんな感じになりますか?

 

矯正する必要なんかない!自然体でいいんです

 

 

生きづらさから解放されるために偶然手に取った本には、原因など当事者としては手厳しいことが書かれていました。多面的に見てみると克服させるという目的があるからでしょうか。

 

  • とにかく一度考え方の矯正をしてしまえば後はラクになれる

その「とにかく一度」を乗り切るのにどれだけの労力が必要なのかが全く書いてありません。ですから本当にラクになれるのかどうか、その根拠はどこにあるのかが要のはずなのに。

 

長年生きづらくてその意味も分からないまま過ごしてきた人が、いとも簡単に出来るかのようなことが書かれています。読んだからと言って急に「そうか!」と気づくことができるでしょうか?

 

瞬間に理解することができて、キラッキラの笑顔になって考え方を切り替えられるものでしょうか?もしそれが出来たなら本を手に取らなくても生き方自体を切り替える力量を持っていると言えます。

 

中には案外簡単に出来てしまったという潜在的な能力を持っている人もいるかもしれません。少なくとも当事者としては無理難題な羅列だと思えたのです。

 

ですから考え方なんて個々に違ってもいいんです。それこそが個性というものですから。頑張らなくてもいいんです。無理する必要もありません。

 

幸せ感をひとつだけ持ち続けてみる

 

 

考え方を無理やり矯正したりして苦しむよりも良い方法はあります。出来るだけ自然に近い方法は沢山あると思っています。とある本ではマイナス思考を歪んだ考えだと称していてとても悲しかったんです。

 

生きづらいことは歪んだ思考だと言われているような気がしてツラくなりました。歪みたくて歪んだわけじゃないのに。あなたは歪んでいるんですよ!なんて真正面から言われたような気分。

 

なんだか歪みという痛い部分をつつかれたような感覚で思わず泣きたくなってしまいました。だからこそ模索すべきは矯正じゃなく、あくまでも当事者がもともと持っている素質を見出すことが大切。

 

穏やかなココロに自然に芽生えるもの

 

当事者だからこそわかるんです。誰にでもココロの奥底にしまい込んでいる大切な気持ちってあるもの。奥底にしまい込んでしまって簡単に見つからないかもしれない小さな「ともしび」。

 

目に見えるような思い出の品でさえココロと連動しています。目に見える分大切な気持ちを見つけるという部分では比較的簡単かもしれません。目に見えないモノこそ大切に扱いたいもの。

 

もしかするとあなたのココロの奥底には目に見えないけれど、もっと味わい深いフワフワで心地よい気持ちが眠っている可能性があるかもしれません。ゆっくりと目を閉じてみましょう。

 

静かに深呼吸してみてココロの中を鏡にうつすように。一人の空間で自分自身のココロの映写機を映し出すように。小さくてかすかな明かりが見えてきたら大成功です。それが大きな一歩となるのですから。

 

まとめ

 

生きづらいってなんだろう。当事者として生きづらさに気づくのは遅い方でした。いつもナゾのままで、生きていること自体がナゾだったんです。

 

このまま生きている必要ってあるの?何のために生きるんだろう。ツラい事に遭遇する度にそんなことばかり考えていました。

 

現在のお気に入りの品は、お気に入りで幸せ感を感じることができる世界は小さな頃の祖父との想い出です。祖父が大好きでした。もうこの世にはいないけれど。

 

ココロの奥底に祖父との時間が存在することに気づいて、幸せ感に浸る事ができるようになりました。未だにその幸せ感は涙になってこぼれ落ちます。

 

でもその涙は嫌悪感からじゃなくて光だと思えるようになりました。過去に戻ることはできないけれど、なんとなく想い出に浸る度に生きることの意味が見えてきそうな気持ちになれます。

 

生きて存在していることの意義を見出せそうな気持ちになります。これが最初の一歩でしょうか。正直なところやっとの思いでこの地点にたどり着いたような感覚があります。

 

長く永遠に続くように思えたトンネルの先に、かすかな光を見つけてからも沢山の時間を要しましたから。光や幸せ感など見つけるための時間や感覚は人それぞれです。

 

早く見つけた方が良いということではありません。個々のスピードで人生はすすんでいきますから。寿命の長さが違うように考え方や気づきのひとつでさえ一生に一度有るか無いかだと言えるでしょう。

 

この記事が少しでも生きづらいあなたのお役に立てれば幸いです。

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