2020-01-16

なぜ生きづらい?大人の発達障害は恋愛に対する特徴的な傾向があったから

「ちょっと変だよね」と笑われることが多かったのですが。変だと言われることに違和感はありませんでした。恋愛についても同じです。

以下のような事を言われたり自分自身で感じ取っていませんか?

  • ちょっと変わっている
  • 潔癖な時と不潔な時の両極
  • 恋愛で本気度合いが分からない
  • 好きになってくれた相手を信じやすい
  • 設定したルールの中で生きている

私は大人になってから検査を重ね、自閉症の傾向があるという地点に落ち着きました。キッカケは二次障害のうつ病。

今回は自閉症というスペクトラム当事者の話です。

過去の恋愛事情と照らし合わせてみた時に、見事なまでに当てはまる要素満載でした。なぜ人を深く愛せないのかという理由を知ってしまったのです。

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からかいやすい変人タイプ

小さい頃からピエロになるのが得意でした。ウケればクラスに溶け込めると思い込んでいたから。でも実際はからかって遊べるおバカなヤツになり果てていたのです。

なぜ仲間外れにされるのか全く分からず、私なりに必死に生きていたつもり。主要科目は全て苦手。アートな感覚ばかり頭の中をかけめぐっていました。

高校になっても赤点を取って怒られる始末。勉強しなくても授業は完璧にマスター出来ているのですが、テストという形式が大嫌い。結果担任に目を付けられることに。

12歳で人間とは何なのか議論を展開

哲学的な終わりのない議論を好んでいました。1年間だけクラスが一緒になった友達が唯一の理解者。その時以外は周囲から白い目で見られるので、ますます卑屈になりました。

クラスの誰とも話が合わないと気付いてからは、自分の殻に閉じこもる事に。余計につまらないヤツだとバカにされたりイジメられたり、毎日が緊張の連続となったのです。

そんな中でも淡い恋心は抱くもの。周囲はアイドル雑誌に夢中という環境下。孤立していても苦じゃない私は、想像力が広がる世界に浸りきっていました。

小説や物語の続編を書き綴る日々

ノートの消費が一番多かったのは授業でもなく自習ノートでも無く、交換日記形式で書く壮大な恋物語の続編。10冊以上は書き続けた記憶があります。

特殊な感覚を持つ友達に傾倒していたような気もしますね。類は友を呼ぶという状況だったのでしょうか。一見充実した学校生活のようにも見えるかもしれません。

相変わらずイジメが収束する様子はなく。塾の帰り道に男子の軍団に自転車で追いかけられた事が一番の恐怖体験。今でも家を通りすぎる時の笑い声が耳にこびり付いています。

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公共の場所は全て消毒対象物

家庭不和から完全に引きこもりになる事ができず。厳しすぎる母親に急き立てられ学校に行くしか方法がない。サボるという発想もありません。

全てを親に否定される毎日。学校ではイジメ。行き場が無く困っているココロを救ってくれた存在が部活でした。先輩や後輩という上下関係を学びつつ。

少しはマシに、まともに成長できたのは部活ありきの人生になっていたからです。それでも生きづらい事には変わりがありません。他人との共有物が苦手に。

感覚の異常な発達に苦しめられる

音や匂いに敏感になっていった時期でもありました。3歳から始めたピアノのせい?相対音感寄りの絶対音感に苦しめられました。とにかく状況的に生きることが苦痛に。

部活を引退するころから男友達という存在が欠かせなくなり、他人を通して恋愛を見つめるように。

変人なので基本的に男友達はそれ以上の存在になることは無く、男友達のツレという存在と恋仲になっていくのです。潔癖はそこでもいかんなく発揮され嫌われたりすることもありました。

潔癖でも混在型、そして依存

今思えば、発達障害の傾向があったから恋愛にも強いクセがあることに気づきました。恋愛という形に依存したのです。

良い意味でも悪い意味でも、形だけの恋愛に依存するという時期があったワケです。

良い意味では「相手の都合に合わせることが得意だった」こと。

悪い意味では「潔癖を保てると判断すれば即座に依存し始める」という形だけの恋に発展することが多かったのです。

対照的な自室の散乱具合

潔癖ではあるものの、自室だけはどうしても片付けられませんでした。二次障害の「うつ」や「自律神経失調症」などからの影響に起因しているようです。

大人の発達障害に関しては、最近になってからようやく一般的な話題として耳にするようになりました。子供の発達障害検査をすり抜けてきた人たちが大多数。

検査をスルーして成長してしまった大人たちは、ただ戸惑うしかないのです。それも二次障害という形で症状がオモテに出てから初めて検査を進められる現実。

スペクトラムという部類にまとめられた

隠れ発達障害傾向の人たちはまだまだ気づかないのです。極端な話、タピオカブームと同じような現象だと言えるのかも。明らかに見た目でわかる症状以外ですから。

病気や傾向という症状に関しては、時代ごとにブームが起きるのが日本の医療業界のシステムだとか。近年は「自律神経失調症」から「うつ」に至るまで発達障害の二次障害という扱いに。

大人の発達障害として注目され、現在はスペクトラムという部類に全てまとめられたのです。少し変というだけでも発達障害の傾向があると診断される時代に。

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来るもの拒まず?恋愛対象の見極めが欠落

学校で。職場で。私は相手の性格や人格を良く把握しないまま恋愛関係に至ってしまう、まさに「来るもの拒まず」といったスタイルが定着していったのです。

恋愛とは愛を育む意味のある大切な過程だということを教えてもらえず、また私自身も学ぼうとしなかったから。

そこに愛は無かったのかと問われるならyes。愛情表現の仕方が分からないけれど、拒まなければラクにカレという存在が手に入るという感覚でした。

自分から好きになる必要もありません。モテ期がやってくると同時に生理的にムリなタイプ以外は全てお付き合いという形に収まりました。

でも違和感だらけ。お付き合いの仕方さえわからない事には変わりないので、相手が見つめてくるのが不思議で仕方なかったのです。なぜコッチを見てくるの?

いちいち質問してくる煩わしさが嫌でした。感情移入できないままなので簡単に別れを切り出していたのですが、結果的に相手を傷つけることだという感覚も無く。

結婚相手として考えられない

両親が仮面夫婦であることを幼少期に学んでしまっているため、親に相談することができません。

やがて、だんだん不安だけが大きくなっていくのです。なぜなら友人たちの成長を間近に見るから。結婚を意識しているという話題や感覚についていけない。

学ぶべき時を逃したまま時間だけが過ぎてゆき。都合よく利用し続けたのは、好きだと言ってくれる相手の本当の気持ちを理解することなく感情に流されるままになることでした。

不本意な誤解が発生

恋愛相談だけは調子よく乗って持論を展開するので頭でっかち。その事実を知らない先輩たちからは心当たりのない「アイツ」が好きなのかと誤解された時に戸惑うばかり。

だいいち好きという感覚が分からないし「アイツ」が好きかどうかも確認する間もなくフラれる始末。本当の姿を、ココロを理解してくれる人なんていないのだと悟ったのです。

相手のことを知ろうとする気持ちも無いのに無理な話。欠落した恋愛はさまざまな形で終わりを告げていくのです。相手を傷つける言葉を平気で言ってしまったり。

欠陥だらけの恋

愛する意味がわからないから、愛されるという感覚を誤解したりも。恋愛によってコミュニケーション力が高まるというウワサは全く実感できないまま。

レクチャーとして言うのは簡単。単なるビジネスライクな人間関係よりも、恋愛によって学ぶコミュニケーションは気持ちで接してくれるから成立するのだと。

発達傾向にあるからとメンタル指導する側としての言い分は、失恋とは思い通りにいかないことを学ぶ良い機会だということ。失恋が感情の学びになるなんて勘違いも甚だしい。

背景にあった家庭不和

そもそも両親を見ていて違和感の連続でした。恋愛結婚だと言い張る両親はいつも仲が悪く。親が子供に妻や夫の悪口を吹き込むので振り回されていた記憶しかないのです。

両親の間を行きかう伝書バトのような役割もしていた子供時代。親があってこその家族だと信じてやまない時期も。家族愛が欠如していたにも関わらず。

家族としても親からも全く愛情を感じられなかった事は、決裂へのカウントダウンに繋がっていたのです。その証拠に、子供ながらに日ごと大きくなる不安に押しつぶされそうになっていました。

不特定多数との関係に危機感や罪悪感が皆無

何もかもを家庭環境や育った過程のせいにはしたくないですし、実際できませんよね。それなりに社会を体験して、人との関わりを経験しつつ生き抜いてきたからこそ。

ただ一つだけ歪んだ愛情を求めるようになった要因は両親に。未だに一つの人格として認めてくれないから。親の愛情不足は欠落した愛のかけらを探し続ける原因となるのです。

時々むさぼるように相手を求めるのは本能なのでしょうか。その相手が誰だってかまわないんです。

常に相手に尽くす姿勢を崩さず、崩せず

建前上は、「恋することで相手のことを思いやることができるようになります」「人を愛することで大切な感情を育むことができるんです」とキレイごとは言えます。

私にとっては到底無理な話で、執着することでしか愛情を表現することができないのです。執着を尽くす姿勢だと受け取る相手を選ぶこと。勘違いさせる才能には恵まれていたと言えるかも。

甘えることで何でも許してくれるような相手には、大抵何をしても許されるしそれ自体が許容範囲であることも。むしろ相手には都合よく利用しやすい環境をつくるのです。

恋愛の疑似体験

不特定多数と言っても、常に数人待機させておくというバブル時代のような芸当ができるのが発達系恋愛あるある。利用されているのですからお互いさま。

恋愛の疑似体験として狙う相手を定めるのではなく、狙われる相手になりきること。相手からの言葉は相変わらず響くことはありませんし今後も無いでしょう。

恋愛体質だという見せかけの執着で生き抜かないといけない危機感が、人格をも変化させていくような気になるのです。

自己設定ルールの中で、もがきながら生きている

感情をオモテに出して素直に、という事は演出としてすることはあります。初恋を経験する小さな子供時代に何もかもスルーしてきた当事者として。

初恋に近い感情はとても遅い時期に到来したのですが、それさえも錯覚だったのではないかと自己分析しています。周りが恋だの愛だのと騒ぐから素振りをしてみただけ。

変わっている人、いわゆるピエロ扱いですから、毎日道化師に変身するしかない身としては恋愛とは無縁にならざるを得ないと思うのです。

自ら設定したルーティーンの中で生きるのが一番安心した時間を過ごせるのも確か。感情をオモテに出す必要性を感じないから。孤独感はもう慣れて平気。

まとめ

すごく嫌いな空間だった「家族」という形が無くなった時の空虚な気持ちは今でも鮮明に覚えています。気持ちのやり場が無くなった時何かが弾けてしまったのでしょう。

やみくもに出会う人たちに執着するようになりました。愛情や恋という垣根を飛び越えてしまったんですね。階段は一段ずつのぼっていくものなのに。

友達と久しぶりに会った時の恋愛ネタ。ついていけるはずも無くただ聞き流すだけ。恋心や愛情の深さを学んでいった友達とは相反する行動をしていたとは今でも言えません。

変幻自在に姿を変えながら日替わりランチのように異性とお付き合いしていたこと。生きるために必要だから相手に合わせているだけだという事も。

欠落した感情を知るには類似した人種を探すしか方法は無いでしょう。それがスペクトラムとして一つの種類にまとめられた人格の生き方となるから。

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