人生に落ち込むことが重なると「なんだか生きるって大変だし疲れた」状態になることがあります。最初は気のせいだって思うのですが心身は正直。
頭は働いているハズなのに、身体が固まったように動かない。そうなってから後悔しても遅いんですね。眠っていて金縛り状態になるのは身体が疲れている証拠。
人は疲れると頭から信号が発信されて身体の自由を奪われるんですね。だから起きている時にも動けなくなります。
真面目さんと頑張り屋さん
- 「結構、真面目なんだね」
- 「よく頑張るよね~、ホント感心するよ」
真面目とかではなく普通にしているつもりでも、特に頑張っているつもりがなくてもそう言われたりして困惑しました。周囲の色んな人から言われるので、なぜそんなこと言うの?状態。
あまりにも毎日のように言われるので、適当にあしらうことが出来なくなっていきます。自覚がないから、真面目に頑張りすぎていても感覚がマヒしているんですね。
言葉のせいじゃないことは分かっているけれど、何だかとても疲れを感じるように。そしてある日を境に「目立たたないように消えたい」と思うように。
消えたい気持ち
心身の疲れと周囲の反応は比例していると知ったのは、倒れて動けなくなってから。気力自体が消え去ってしまうと考えがちな事が以下のようなこと。
- 生きることに疲れている
- 消えることを綿密に計画している
ちょっとその思考をストップしてみてください。思考停止は簡単な事じゃないことも私だって良くわかっています。でも少し深呼吸しましょう。
この記事を読んでからもう一度考えてみてほしいんです
当事者として正直に告白すると、私は消える方法を調べるために「人生を終えるためのマニュアル」という本まで購入。それほどまでに真剣でした。
そして「人生を終える場所」を探しに行ったりも。要するに下見です。消えたいと思った日から私が実際に行った流れをご紹介しましょう。
- マニュアル本を隅々まで読んで学習した
- 具体的かつ確実に自分自身を再起不能にする計画を練った
- 現場へ下見をしに行ったり目的のために放浪をした
- 放浪していたら実行する気力が無くなった
- とても情けなくて悲しくなった
無意識の涙と向き合うこと
悲しみは「無意識の涙」と化して溢れ出てきます。今泣いていたらその涙はシグナル。ココロが「考え直して!」と叫んでいからこその涙なんですね。
悲しみの感情が起こってから、その後の流れは以下のとおり。
- とにかく涙がとまらない
- 落ち着いたら考え直す時だと気づいた
- でも何も耳に入らない
- アタマも思うように働かない
- とにかく疲れたので何日も眠った
- 生きるために逃げてみた
- 生きることがラクになった
生きるだけのことなのに本当に深刻に悩む状況で無我夢中に求めるモノがあったり、何かを探したくなったりする気持ちって、すごくわかります。
たった一人に届けたいメッセージ
疲弊しすぎて大変な状況かもしれません。ただ読み流すだけでココロに届くメッセージになればと考えて読みやすく編集してみました。
人生に疲れ切った状態であっても、無意識の部分に響くように気持ちを込めて書いていきます。ですから私の手を取ってみてください。落ち込んだ沼から一歩ずつ外の世界へ進みましょう。
「生きる」と「疲れる」を別々で見てみよう
心身が疲れて動けなくなると、何をしていても気持ちが定まらない。まるで上の空という状態になることも。いつもなら夢中になれるはずのゲームさえも見たくない。
既に習慣になっているスマホのチェックでさえ見る気が起きない。いつもの何気ない動作さえ制限されてしまうんですね。ちょっとしたショック状態に。
- 習慣化していたことができなくなる
- 何をしても楽しくない
- そもそも何もしたくない
毎日何気なく習慣化していることって、生きることと密接に関わっていたということを身をもって知らされます。だからこそ楽しい時も沢山あったはず。
悲しみの世界と楽しい世界
そして今は全然楽しくない。何かの拍子に悲しみの世界にたどり着いてしまったんですね。楽しい気持ちと悲しい気持ちは真逆の位置。つまりオモテとウラ。
例えば周囲に人がいるのに恥を書いてしまった時。恥ずかしくて情けなくて何だか悲しくなってしまうという気持ちに集中してしまいがちですね。
でも案外冗談として受け止めてくれる人の方が多かったりして「ボケとツッコミ」感覚に。周囲は意に反して受けていりして楽しいと思っている可能性があります。
- 楽しいの裏側にいる状態
- 裏側の悲しみと向き合っている
- 裏側を考えられる強みを持つ人
上記の3点はとても重要な事。感情が良くわからない状態であっても基本的に強い人なんです。自分を信じることから始めるって大切ですね。
弱さも認めつつ、強い部分を沢山持っているんだという自覚について認めることから始めましょう。
誰にでも与えられている生きる権利のこと
忘れないようにしたいこと。それは「生きる権利」という存在について。生きるって本当に大変なことですが「生きる権利」があるからこの世に誕生したんです。
少しスピリチュアルな言葉に近いでしょうか。至って真面目ですし、現実的に伝えたい!という気持ちが前のめりになっているのは確かです。
当事者として悲しみを全身で受け止め続けた者の話として読み流していただけると幸いです。
- 生きる価値を決めるのは誰でもない
- 生きる権利は消滅しない
「君は生きる価値なんて無い!」なんてそもそも言われる筋合いなんてありません。当然「生きる権利」は消滅したりしないんです。
生きる価値をジャッジするのは本当の悪に対してだけ
- 理由もなく通り魔的に人を傷つけ入院させた
- 故意に交通違反を繰り返し、出頭命令を無視し続けた
- 見ず知らずの他人の家に押し入り金銭を脅し取る
例えば上記のような悪いことをして、裁判所や公的機関によって正式に出頭を命じられたりしない限りは。だからといって「じゃあ悪いことしてやろう」なんて思わないで。
公的機関で生きるに値しないと判断されるには、相当な悪事を重ね続けないと認めてもらえません。どんなに悪いことをしても、生きたままで償い続ける人生を選ばざるを得ない。
それが現実なんです。悪事はこの世から去るだけの十分な担保にはならないということ。だからこそ「生きる権利」を持っていることを確信して忘れないようにしましょう。
疲れたら無理をしないで
「こんなに苦しいのに生きるしかないのか」と落胆してしまうかもしれませんね。では他の方法を一緒に探してみましょう。生きることに疲れたなら、苦しいなら休んでみることです。
- 物理的に休むこと
- 「疲れた」原因は必ずある
- 無理に答えを出さなくても良い
- 深呼吸と心地よさを探して眠る
すぐに取り掛かれることは、物理的に(空想や想像ではなく)身体を横にして休ませてあげること。疲れたという気持ちと真正面から向き合ってみましょう。
もっと単純に考えて良いんです。生きるということに対しての「こだわり」や「意識」を持ちすぎている可能性が。疲れた理由はどこにあるのでしょう。
疲れた理由と向きあってみよう
普段の何気ない日常や生活の中にストレスや疲れる理由があります。日常や生活の中ってものすごく広い範囲。今日という1日だけを振り返ってみましょう。
今日という1日がとても長くて広すぎると思ったら「今日の午後は」という具合に時間を限定してみましょう。疲れた原因を探っていきます。
何かに集中しすぎたり執着しすぎたり。何かがあったから疲れたワケなので必ず理由ってあるはず。「そんなの今わかるわけない!」と思ってしまいますよね。
とってもわかります、その気持ち。今は「疲れた」状態ですから、とにかくゆっくりです。深呼吸ができたら良いんですが無理なら呼吸を意識てみましょう。
深呼吸で落ち着いてみよう
「息を吸って、ゆっくり吐いて~もう一度吸って~」気休めだと思ってもOK。少し落ち着いたら心地よい音楽を聴いたり何気なく外を眺めたり。
ただボーっとしてみるだけ。気が付いたら眠っていた、が出来たら大成功!眠ることは「生きること」の要素そして非常に大切なことなんですよね。
生きることに疲れやすいタイプ
疲れたと思う人のほとんどが「真面目さん」を通り越した「超生真面目さん」なのです。生粋の真面目さが売り。頑張ることが得意だったり我慢強い人。
- 真面目過ぎさんは「答えはいつも1つ」に限定するタイプ
- 頑張り屋さんは認められているのに「現状に満足できない」タイプ
- 我慢しすぎさんは「我慢強さを自負」しすぎて限界を知らないタイプ
3つのタイプに共通すること。それは頑固な傾向があること。考え方が硬すぎて「やわらかさ」が全くない状態。例え誤解されても考えを曲げません。
隠れたストレスを探して
そして後で気が付いた時には、ものすごく焦って追いつこうとします。それに伴うのがストレス。頑固で譲らないという段階でかなりの負荷がかかっているんです。
そうしたストレスがじわじわと増殖していき、自然に焦ってしまう度に確実に蓄積されて、突如ドカーン!と大爆発してしまいます。そんな結末イヤだし避けたい!
もう少し詳しくケースごとに当てはまるところがないかチェックしていきましょう。
他人に優しくわが身は厳しく
他人からは、いつも優しいと言われますか?その「優しさ」って実はあなた自身を守る「鎧」だったとしたら?自分自身に厳しくしてしまうからこそ。
- あなたを守る「鎧」は着ていても良い
- 他人は他人なので気を遣いすぎないこと
- どんな作業も業務もキッチリを求めすぎないこと
- 息抜きや正しい手抜きはOKだと考える
- あなたの優しさは「強み」
本当は他人のこともキッチリチェックしています。だからこそ「まずはわが身を律する」というところから思考がスタートしているので、他人に厳しくするヒマが無いんですね。
ルーティンワークが得意。さらに言えばルーティンワークに命をかけるくらいにキッチリ、そしてバッチリ。ひたむきに頑張る姿が上司にウケたり評価が上がることも多々。
頑張り屋さんだから世渡りの術を知らない
ここで注目したいのは、単純作業を含むルーティンワークほど頑張れるということです。一方で、ちょっと難しくて考える時間が必要な企画案などは後回しにしがち。
結果的に「重要案件」にも関わらず納期が遅れそうになったりして。ここからが本領発揮の頑張り屋さんのこと。残業や早朝出勤に全く抵抗がなく、結局間に合わせてしまいます。
そんな姿を見ると「じゃあ一体どこで息抜きしてるの?」なんて言われたり。実は息抜きってナニモノ?と言うくらい超天然級に知らないワケで。
適当という度合いの存在を知ろう
ルーティンワークをキッチリこなせるので、適当という度合いがわかりません。全部手抜きするのは良くないですが「要領良く」という世界を学びたいところ。
「世渡りが下手なんですよ~」と軽く言い放ってしまうので、ある程度の自覚はあるはず。でも現実的な問題点には気付くことができないところが超天然な部分でもあり。
超天然で頑固さんは、優しさこそが最大の武器になります。無意識に自己防衛をしているのですから。もっと強みとして活かせると良いですね。
疲れたワケは自信喪失
そんなつもりは無いのに他人や他の事と比較するクセが。自信が無いという思い込みがあなた自身の「個」を意識していないから疲れるんです。
以下のような事に心当たりはありませんか?
- すぐ比較するクセがある
- 感情の育ち方に欠陥があると思っている
- 唯一無二の「個」であることに気づけない
- 「疲れた」ことばかりに集中してしまう
他との比較や、すぐに自分自身を卑下してしまう性質は、育った環境が関係していることも。特に母親という存在は子供の感情育成に大きく関わり重要なキーマンなんです。
情緒を豊かにできるか否かという問題は、今子育てしているママさんたちにお任せすることにして。過去の育てられ方よりも前に知ってほしいこと。
それは「たった一つの個」であること。他の誰でもない「唯一無二」の存在。人の成長過程において優しくしてもらった記憶がない場合は、「個」を無視して卑下することに。
自信喪失のウラに隠された理由
大切な母親とのふれあい育成期間に他の誰かと常に比較されて「出来ない子」という烙印を押されてしまうと、「個」を見失ってしまいます。
今生きる事に疲れたという感覚があることに注目してみると、見失ったはずの「個」が復活している兆しが見えるはずなんです。これを良いキッカケにしていきましょう。
この疲弊した状態の理由が分かったのだとしたら、一旦疲れることをやめてみませんか?
人やモノに依存すること
疲れた時に頼りになるのが友人や親しい人たち。ちょっと空気を読める人なら、大変なあなたの状況が気になって駆け付けてくれるかも。頼れる友人の存在ってありがたい。
- 空気を読めるレベルの友人の存在は大切に取り扱う
- 生きることを手伝ってくれる人は存在しないのが現実
- 生きることへの責任を信頼と重ね合わせないようにすること
- 人に依存しすぎると逃げたくなるのが他人の心情
生きる事を今後どうしていくかという悩みや問題は、頼れる誰かに簡単に頼める事柄でもありませんよね。生きる事を手伝ってくれるわけではないからです。
生き続けることを模索し続けるのは、疲弊した自分自身だから。重大な悩みの時ほど依存してしまいがち。頼れるイコール信頼と考えることもできますが、今回は異なります。
安易な他人への依存は要注意!
勘違いポイントとして認識しないようにしましょう。信頼できるからと安易に解釈しないようにしたいもの。生きるという悩みは個人の問題です。
したがって他の誰かが解決することは不可能。信頼できることに「依存」してしまうと相手は逃げていくことが多いのが現実。非常に残念な事ですが。
やり場のない「依存」を受け入れてくれる人も中には存在するかもしれません。依存は「期待」することで増幅してしまう危険性があるので、早めに中止したいもの。
他力本願で解決できないのが現実。依存することは世の中を上手に生き抜くために時には必要なワザ。ただし依存の度合いやバランスが取れればの話。
そもそも人は依存する生き物
生き続けることを模索する、という重大な課題を背負う今はバランスが取れていない時。信頼と依存は悩むテーマによって全く違う種類になります。
依存された側の負担の度合いによっても変化。誰もあなたという「個」という命の価値を決められませんから。「依存しないと生きていけない」と言う人も確かに存在します。
それは生きる手段と依存していることをバランス良く認識しているから出来ることなんです。「依存」とは何も特別なことではないんです。
そもそも人間という生き物は常に「依存」しながら生きているとも言えるでしょう。
- ラーメンやファストフードなど特定の食べ物
- 友人や特定の異性や人に関すること
- お酒やタバコなどの嗜好品
- 買い物することが生きがい
軽いものから重いものまで全て依存している状態だと言えます。「毎日〇〇を食べなきゃ一日が終わらない」といった気持ちが依存なんですね。
依存の種類とバランス
また「依存」は複数同時進行が可能。恋愛体質と自称する人がいますが依存として考える場合、相手が人ですから「期待度」が全く違うと思いがち。
でもファストフードに「依存」することとなんら変わりはないんです。ただ相手がモノではなく、人の場合は感情が伴います。期待しすぎて相手の負担になる可能性も。
逆に、期待させてしまうのも思いもよらない誤解をされる可能性だってあるんです。相手が人の場合は「信頼」できるかどうかを判断基準にしたいところですが。
絶賛悩み中の時期にはそんな余裕さえありません。「依存」するならお手軽なモノでバランスを取りたいところ。「人のぬくもり」は何ものにも代えがたいのも分かります。
そんな時は一番近くに存在するペットや動物に愛着を持ってみましょう。言葉のない生き物は見返りを求めませんから。
視点を変えてみる
考え方は簡単に変えられません。少し目線を変えることができればポジティブな入り口が見える可能性が高くなります。ポイントがいくつかありますのでご紹介します。
- 自分を可愛がる
- 人に「流されない」「巻き込まれない」
- 引きこもる
- 日記を書く
- ポジティブな出来事の記憶をたどる
- お試しエステを受けてリラックス
生きることに疲れたということは「あなた自身」を大切にしていないことが要因のひとつです。自らと向き合って客観的にみる練習をしましょう。
自分自身を最優先に!
「疲れた」と思う時は他人に流されることが多くなります。思わぬトラブルに巻き込まれないように出来るだけ「ひとりの時間」を大切にしたいものです。
そのためには「引きこもる」という手段があることをお忘れなく。引きこもったらノートとペンを手に「日記」を書いてみましょう。楽しい出来事を振り返るのも良いですね。
「疲れた」を癒すには、ラグジュアリーなエステも心身にアプローチできます。お試しエステならお手軽。お値段もワンコインで利用してみるのも一手。
逃げてみよう!生きるのをやめることと逃げることは別です
逃げよう!と言われたらあなたはどう思いますか?ズルイ?姑息?「生きるために逃げる」だったらズルくないんです。大切な「命」を守る行為ですから。
- 逃げると生きる事をやめるは一緒じゃない
- 逃げることは避難するということ
何事も「やめよう」と思う事は自由。考えるのも自由です。でも「生きる」事をやめないで。生きる事を諦めないで。生きるために逃げる手段は沢山ありますから。
日々練習してみよう
生きる事をやめなくても大丈夫!「疲れた」なら休めば回復します。必ず「疲れ」は取れるんです。擦りむいて傷ついても、消毒して絆創膏を貼れば治りますよね。
休むために「疲れたから逃げる」はアリ。逃げた事を後悔せずに「生きることをやめる」を回避できたと考えること。何となくでもポジティブなイメージが出来ましたか?
私も日々、絶賛練習中です!
まとめ
- この記事を読んでからもう一度考えてみてほしいんです
これは冒頭でお伝えしました。この「まとめ」であなたが私の文面を見ているということは。私の手を取ってついてきてくださったんですね。
ありがとうございます!
- やはりあなたは「真面目さん」だった
- やっぱりあなたは「頑張り屋さん」だった
興味本位で読んでくださった場合も実は頑張り屋さん。私が以下の行動を起こそうとしたのは、信頼していた友人にメールをしたところスルーされたから。
ツラさを共有できないという事実を突きつけられた気持ちに。最初は当てつけの気持ちもあり半分ヤケクソになって行動したんですが、結果的にはポジティブに。
- マニュアル本を読み具体的な計画を立てたこと
- 目的のために放浪したけど結果情けない気持ちになったこと
- 涙が止まらずさらに疲れが倍増して眠り続けたこと
- 起きた時には生きるために逃げて結果ラクになったこと
私自身が苦しんだからこそ誰もが大切な「個」を持つというメッセージを伝えることができました。読んでくださってありがとうございます。
本当に感謝です。生きる価値はそれぞれの考え方次第でもあります。
- あなたも周りも対等に生きている
- 優劣はあなたの思い込み
- あなたは大切な「個」ということを忘れずに
- 逃げる場所には安心で安全な場所を探そう
平等ではなく「対等」。これって似ているようで全く違うんです。モノゴトに優劣をつけながら歩んできた経緯はありますか?その「優劣」こそ対等を阻んでいるもの。
あの人より劣っている、という劣等感は横に置いておきましょう。すぐに忘れるのは無理ですから。生きる価値は平等とも言いますが「生きる」ことは対等なんです。
安心できる人に安全な場所で「生きる」ことや「疲れた」状況を話せると良いです。誰もがひとつの「個」なんです。他の誰も代わりになり得ません。
今は公共の場所(市区町村)に専門の相談員を設置している自治体が多くなりました。直接問い合わせてみるのも有効ですし「生きる」ことに一歩進んだことになります。
大切な命を明日につないでいきましょう。この記事がほんの少しでもあなたのお役に立てたなら幸いです。
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ようこそ!縁起物が大好物の松風寿那です。ココロを癒すキレイな色彩で文具から雑貨まで揃えてニンマリ。【好きなモノ】マルチーズ・映画・ドラマ・音楽・お絵描き【寿那的思考】恋愛や人との関わり方について体験を軸に生きるコツをご提案!文字・イラスト・音で表現活動しております!プロフィールはこちら