2018-10-03

怒りと悲しみという感情はイコールである!という不思議な話のこと

何もかも日々のちょっとしたことにも疲れきってしまいました。そして、とうとう動けなくなりました。偶然の流れから心理学を学ぶことになったんですが振り返ると動けなくなるほどに「頑な」だったことを発見しました。

 

 

「頑な」とはいわゆる「頑固者」ということになります。心理教育を学ぶ中で非常に邪魔になる存在であることも後々にわかってくるワケですけど。根気よくお付き合いくださる先生には本当に頭があがりません!

 

感謝の気持ちと学んだ日々を振り返りながら「生きるためのヒント」を探っていきます。

 

スポンサーリンク

心理テストの結果は「超」重度?

 

心理テストと一口に言っても本当にいろんな種類があるものです。絵を描いたり計算したり筆記試験みたいなものまであったりパズルで遊んでいる気分になるものも。

 

海外では弁護士と自宅敷地内にプールと、そしてセラピストを専属で所有するのが、3大ステータスと言われています。そういう点で見ると、島国根性のようなものが、弊害になるんでしょうね・・・。

 

という余談は、さておき、海外なら、3大ステータスに入ると言われる「セラピスト」がついてくれることになったんです。これって、本当はスゴイことらしいんですけど、なんといっても、ここは鎖国が長かった国です。

 

誰にも理解されることがないまま、セラピーが始まりました。当然、そんな内情、知る由もない素人さんです。おまけに、心理状態も最悪でしたから、もう思い出したくもないくらい。

 

テストを挟みつつ、カウンセリングを繰り返すのですが、今でもはっきりと記憶しているのは、私自身が、口をつぐむ暇もなく、喉が渇くのも忘れて、話がとまらなかったことです。

 

セラピストである、大先生は、決して遮ることはしませんでした。家族にさえ「うるさい」「しゃべりすぎ」と言われていたのに、です。話が止まらないどころか、口が激辛ラーメンを食べたみたいにシビレてくるくらいに・・・。

深呼吸って?

 

話が止まらない上に、泣いているのか、笑っているのかさえもわからなくなる瞬間が、数えきれないくらい訪れるわけです。話にキリがついたというよりも、話をし過ぎて、疲れてしまった、という表現が正しいでしょう。

 

疲れ切った様子を見た先生は、ゆっくりと言いました。

「深呼吸しましょうか」

そのたった一言だけ、だったんです。先生は話を聞いてくださっていたんでしょうか?その謎は、かなり後まで解くことはできませんでした。深呼吸の仕方もわからないくらいに、混乱していたのでしょう。

「鼻からゆっくり吸ってー」

先生の言うことは、簡単なことのはずなのにうまくできません。どうしても息ができない!困った!どうしよう!ゆっくりとか、もうわかりません。意識すると、できないものなんでしょうか。

「はい、口から細く長くゆっくり吐いてー」

口がブルブル震えすぎて、息を吐いている感覚さえつかめませんでした。10分くらいか、30分くらいなのか時間の感覚もありませんでした。ただ、ひたすらに深呼吸です。

 

気を失っているわけではないのに、気が付いた時には、先生はペンを置いたんです。その直後に、先生は言いました。

「次回はテストをしましょう」

ただ喋りが止まらなくて呼吸して終わり、それだけの時間。なんなんでしょう、抜け殻のようになってしまってチカラが全く入りません。立ち上がることも、歩くことも忘れたかのように。

 

パズルや絵を描いたこと

 

次回はあっという間にやってきました。義務教育の時の記憶がよみがえったりしましたが、中には意外にも手が止まってしまうという不思議な現象も起こってしまいました。

 

心理テストの内容は主に下記のようなものでした。

 

  • 白い用紙に色鉛筆で「絵を描くこと」
  • 絵本のような冊子を一頁ごとに「何にみえますか?」
  • 形を組み合わせる「パズル」

 

他にも、いくつかテストしました。大きく分類すると「とりあえず、ふたつ受けてください」と言われたような、言われていないような。ですが、どこが「ひとつめ」でどこが「ふたつめ」なのか全くわかりませんでした。

 

ショックな結果

 

後日、結果を伝えられることなくカウンセリングの時間が訪れました。でも結果が気になって仕方がなかったので聞いてしまったんです。

「テストの結果は、まだですか?」

詳しく数値化されたデータは、結果として全て担当に渡した、とのことでした。納得できるはずがありません。あまりにも、しつこく聞いたのでしょう。

「かなりの重度ですね」

一言先生はショックな言葉を発したのです。天と地がひっくり返るとは、こういう感覚なのか!と思わず固まってしまいました。その言葉は一番聞きたくないコトバでした。

 

スポンサーリンク

イライラに支配されるということ

 

 

とにかく落ち着きがなかったんです。特に仕事の場合、常に複数業務を掛け持ちしながらすすめるクセがありました。何事も平行して行動していないと気持ちのやり場がない状態でした。

 

社内や外部との電話をやり取りをしながら手元は全く別の書類作成をするのです。電話のメモをとりつつまた机に新たな仕事が置かれるとゼスチャーで受け答えします。

 

今考えると、ありえない仕事の仕方でした。上司や同僚とコミュニケーションをとりながら新たな別の業務メモを作成していました。更に社内を駆け回って止まることを知らなかったのです。

 

会議に出たり書類を届けたり受取に行ったり目まぐるしく動くのです。デスクに座ったと思ったらいつの間にかいない、とよく言われました。そうすることでしか働く感覚が持てないという人です。

 

働く実感と気持ちがアンバランス?

 

トイレに行く時間もモッタイナイくらいでした。女子の雑談含め徹底してスルーしていました。かなりヒンシュクをかっていたことでしょう。でも逆に雑談をする暇な人を信じられないと見下していました。

 

常に手元に仕事が複数ある状態に追い込むことが得意でした。会社には残業という概念はありませんでした。いわゆるブラックな考えが常識だったんだと記憶しています。

 

実際に仕事が終わらないのは自己責任だと言われました。常に平行して仕事をするので、抱えきれないほどの仕事量を抱えていました。そして同僚や上司に相談することもしませんでした。

 

なぜなら、同僚はトイレですれ違うと「ウワサ」話に花を咲かせていたからです。一方、上司は出張や外回りが多く「新たな仕事」を持ち込む張本人でした。

 

苦しみの向こう側

 

一連の業務進行の事を矢継ぎ早にノンストップで話終えたのです。先生は「イライラに支配されていましたね」と静かに言ったのです。本当にイライラの内容を聞いてもらえたの?

 

あれだけ話が止まらなかったのに納得できていませんでした。常に何かにイライラしていた記憶はあるのです。ですが「支配されていた」とは意外なコトバで衝撃でした。

 

スポンサーリンク

波があって当然!人間だから

 

無理して笑うことが、あたりまえだと思っていました。ウソの笑いは、すぐにバレるものですね。相手を怒らせることも、しばしばでした。でも相手を怒らせる以上に怒りが常にマグマのように沸いています。

 

フツフツと沸き起こるので、相手の怒り以上にイライラをぶつけていました。ケンカになっても、構わないと常に構えていました。周りに当たり散らす時期もありました。

 

ですがほとんどが特定の人に絞られていました。そして、常にキープしたかのように、イライラのはけ口に利用していました。いつのまにか特定のタイプをかぎ分けるようになりました。

 

そして次々と渡り歩くことが習慣化していったのです。

 

感情を隠せない

 

更に特定の人に執着することも覚えていきました。わたり歩くよりもラクだとでも思ったのでしょうか。「泣き落とし」に見えたのか許されることも覚えました。

 

単純に哀れに見えたのでしょうか。常套手段として「泣く」ことも多くなっていきました。とにかく執着の仕方は今考えれば信じられないほど幼稚なものです。

 

  • 相手以上にイライラして「わめく」
  • 相手の様子を見計らって「泣きじゃくる」

 

定期的に「わめく」と「泣きじゃくる」を入れ替えて生きていたような気がします。先生は静かに言いました。

「感情には波があって当たり前なんです」
「波があるからこそ人間なんですよ」

過去の罪悪感にさいなまれていた時に先生からもらったコトバです。

 

ココロに耳を傾ける!出来たら超人レベル?

 

常に変化を求めるクセは感情にも現れていました。自覚があるんです。でも、もはや自分自身で止められないくらいのスピードでした。そこには感情という名のループが存在しました。

 

  • 疲れた
  • イライラする
  • 怒りが爆発しそうだ
  • 悲しい
  • 泣きたい
  • 悔しい
  • 消えたい

 

感情のループが追い付かないほど目まぐるしく変化していきました。感情のループが永遠に思えるかのごとく止まらないのです。

 

ココロとの対話が必要だった

 

いつからか「泡のように消えてしまいたい」という感情が芽生えていました。先生は、また静かに言いました。

「ココロに耳を傾けられるといいですね」

この時は全く理解できていませんでした。

 

境界線がオブラート?それ絶対溶けますよね!

 

すでに疲れ切ってしまうクセがついていたみたいです。当たり前の状況だと言われなくても、なんとなくわかってはいました。自ら疲れるような行動に走るからです。

「境界線ってわかりますか?」

先生に唐突に聞かれてキョウカイセン?モゴモゴするばかりでした。自分自身と自分以外の人(他人)の間に置くべき壁のことです。本来なら頑丈な壁が自他の間にあるというのです。

 

確かに、すぐに感化されるとは思ってしました。でも、それが自他との間の壁が存在しないかのようだと指摘されたのです。

 

「境界線が薄い状態なんです、オブラートくらい」

オ、オブラートってそれ、すぐ溶けますって!分かりやすい説明だとは、思いましたけど。でも同時にすごく悲しかったのです。

 

境界線を強化する!

 

自分自身と自分以外の人とは「境界線」をきっちり引くことが大切だったのです。

「境界線を強くしていきましょう」

今後の課題として先生が最初に課題として示したコトバでした。

 

まとめ:「ダルオモ」と「スッキリ」が混在?

 

 

心理教育は海外では一般的に「セラピー」と呼ばれています。カウンセリングというのは対面、面談というイメージがあります。近年、学校や会社でもココロへのアプローチとして行われていますね。

 

セラピーというのは、癒しのイメージです。カウンセリングの時間に、セラピーを受けた解釈として記録しています。セラピストによる「セラピー」というくらいです。

 

心理的な癒しを求めるイメージが強かったのです。ですが率直に感想を言ってしまうと、ダルオモ!なのです。30分~50分くらいの短い時間にも関わらずです。

 

序盤の感想、ゴールは遠い?

 

帰宅の足取りはフラフラで千鳥足にも見えるでしょう。無くなりかけている「エネルギー」を更に消耗しているのです。後になぜダルオモなのか、わかりました。

 

疲弊した毎日でココロがすり減っている状態を振り返るからです。体もアタマの中もすでに営業終了!という状態なのです。疲れ切って動けないというのも納得ですね。

 

完全に脱力しているとさえ感じました。一方で同時に少しだけ信じられないことが起こってたのも事実なんです。ココロが少しだけ軽くなっているような、そんな感覚がありました。

 

ほんの少しだけ「スッキリ」を感じられたのでした。これは、まだ癒しのスタートの序盤にすぎません。今後はどのように気持ちが変化していくのか軽くなるのかは未知数です

 

学び気づきから。我が身と向かいあうためには、まだまだ勉強が続いていくのです。

スポンサーリンク