2019-07-08

学校でのいじめ体験から見えた原因!本当にベストな対策はあるの?

学校でいじめを体験した当事者として最近になってやっと過去を振り返って客観的に見る事ができるように。トラウマとなった過去を振り返るのはとても苦しいことですね。

近年毎日のようにニュースで見かける学校でのいじめ問題。社会問題として報道される内容はいじめの構造を複雑にしているだけのような気がします。

もっと根源を見つめれば単純明快なのに。行政やマスコミが悲しい事件としていじめ問題を取り上げることに憤りさえ感じるのです。とても他人事とは思えません。

一度狂ってしまった歯車は決して元通りにはならないのです。気が付かないワケがないのです。そこには暗黙の了解が必ずあったはず。事後報告のためだけの形式的な行動!

慌ててアンケートを集計したり全校集会をしたりでは遅すぎます!いじめられる側や追い詰められる側としては時間の経過とともにココロの傷も深まっていくのです。

学校という組織は教師をはじめとする大人から児童や生徒という立場の子供まで全員に関わりがあることなんです。学校だからといって大人も子供も関係ありません。

大人になって学校の先生は大学生気分の延長線上にいる悲しい事実を知ってしまいました。学校という小さな社会で尊敬できる先生だと思っていたのに。

いじめの構造を作り上げる者こそ最もいじめの対象になることを恐れているという側面にも注目しながらいじめの原因と対策について考えてみました。

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いじめは最大の防御策である

義務教育である小学校から中学校。感受性が育つこの大切な期間に誰もが一度は体験するであろういじめ。それは加害者であっても被害者であってもどちらにも感情の負荷は大きい。

感情に負荷がかかるということは一種のストレスであって人として生きるために必要な要素でもあります。若くみずみずしい青春の始まりには苦い記憶が伴うもの。

淡くて苦い記憶は常にストレスと隣あわせの状態。いじめの加害者がある日突然被害者になってしまうという現象も起こりうるのは当然のことでしょう。

感情の起伏をコントロールすることを学ぶ大切な期間でもあるのです。育まれる環境によって成長の仕方に差が出ることも。自分を守ることに気づいた人から保身の行動に。

いじめる側に同調することでいじめられる対象から外れる、回避するという方法を学んでいくのです。いじめることで優位に立てると考えるのでしょう。

本当の答えは違うところにあるのに学校の先生は教える術がない。ホームルームや道徳の時間はムダに過ぎ去っていきます。守るべき立場の教育者が持つべき視点とは。

いじめの現場での教育者の立場は非常に難しい。大人になって本当に情けなく思うのは世渡りばかり上手になっている教育者たちを目の当たりにしてしまったこと。

守られることが無くなったいじめの被害者は行き場がありません。もはや無限のループです。巻き込まれるように加害者と被害者の立場が毎日移り変わっていく。

そのような現象に順応するしか手立てがなく。耐えきれなくなった人から脱落するシステムがうまれます。脱落したくないから加害者になるのです。

加害者になり、いじめを繰り返すことで必死に生きていくという方法を編み出すのでしょう。それこそが最大の防御とでもいうように。

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空気が読めない者はいじめの対象となる

あえて空気を読まないタイプやその努力をした人は勝ち取ることができる優越感のなかの孤独。もともと気にならない性質を持つ人ばかりではありません。

孤独と孤立は大きく異なるからです。その場の空気が読めないのが当たり前。感情のベースが固定化されていない揺らぎの思春期だからこそ恐れる瞬間に出会ってしまいます。

自由に過ごす方法がわからず。空気が読めないだけの未熟な成長期には攻略するべき対応策に気づくことができません。空気が読めない人だというレッテルを貼られ孤立に。

なぜ無視されるのか?何が悪かったのか?全く見当もつかないまま孤立してしまうのです。空気が読めなかったために無視という応酬を受けて耐えがたい日々。

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小さな社会に押し寄せるストレスからのいじめ

勉強ができない、テストの点数が悪かった。学校生活において勉強のストレスは常に付きまといます。テストの点数でクラスの先生から指摘を受ける事も一種の圧力に感じたり。

学校の教育方針や親からのプレッシャーに耐えながらテストの度にストレスが募っていきます。そのストレスを緩和させる方法がいじめの加害者になること。

ベストではないとわかっていても簡単にストレス発散ができると味を知ってしまうと歯止めは効かなくなるのです。その時はストレス発散することしか目的ではないので当然。

いじめる対象者は誰でもよかった。というのが大人になってからの後日談。いじめられた側は、たまったものじゃありません。ふざけるな!と大きな声で言いたいのを我慢したのです。

いじめ被害の体験から対策を考える

小学校の時は無邪気すぎて加害者になっていたことを自覚できませんでした。ところが中学生になった途端に萎縮してしまうほどの苦しみを味わうことになったのです。

学校の内外に関わらずいじめを受ける日々が始まりました。入学直後から小学校での傍若無人ぶりがウワサで広まってしまいクラスでは最速の孤立第一号のレッテルが。

孤立を貫くしかなかった

ワケがわからないので友達に聞きに行くのですが無視されます。学校の外では下校時に帰り道を邪魔されたり意味不明な言葉で詰め寄られました。

毎日繰り返されて慣れるというものではありません。帰宅して家族に困っている話をするのですが聞く耳を持たず。むしろ事実を否定される始末。

自己を表現する方法を見失っていきました。気づいたころには家族もバラバラに。学校で自己表現ができないなら家でやってみよう!と意気込みすぎ強行手段に。

家族会議を断行するという荒手の方法を取ったのです。なんのために?目的も方向性もわからないまま大きな紙に家族の在り方を書きなぐりました。

自己表現を模索する

努力の甲斐なく家でも学校でも伝え方やコトバの受け止め方がわからなくなっていき虚しいだけの日々。唯一の救いが部活動であったことは確か。

ただし変わり者扱いを受けるのですが。幸い部活動では先輩や後輩というクラスとは違う雰囲気を味わえます。次第にクラスと部活動で性格が変わるという二重人格に。

部活動ではピエロのように振舞うことで居場所を見つけました。相変わらずクラスに戻ると教室に居場所は無く孤立。いじめられる理由を考えても心当たりは無く。

頑固でひねくれた考え方が育まれた成長期となったのです。

いじめと抑圧の二面性

部活動で先輩に抑圧されても耐えられるのにクラスで仲間外れにされることは耐えがたいことでした。家に帰っても何かと禁止事項が多くフラストレーションはたまる一方。

変わり者であることを自覚していくのです。部活動や家では常に落ち着きがない。飛び跳ねていないと気が済まない。これは大人になっても変わることはありませんでした。

いじめが人格形成をしたのかどうかはわかりません。環境を振り返ると家でも部活動でも常に次から次へと気が移ったり一つのモノゴトに取り組むのが苦手になっていったのです。

いじめが成長させてくれた感性

すぐに飽きる。努力してみても頑張ってみても頂点が見えた途端にやめるという習慣が身についたようです。集中力に起伏があるのもこの時からだったような記憶が。

唯一いじめられた体験が形成したと言える現象があります。どこにいても常にアンテナを張り巡らせ悪口を察知できるように。誰が何を言っているのか聞こえる能力が。

相変わらず家では会話が成り立たない日々。両親はともに子供に対して不仲であることを言い続けました。もう十分すぎるほど頭に刷り込まれたのです。

両親の良いところを見出そうと子供なりに努力してみるものの家族としては下り坂を転がり落ちるように反比例な結果に。結局のところ諦めるに至るのですが。

ピエロと想像の世界

部活動仲間にはピエロであり続ける努力をしていたのですが突然何を思ったのか架空の共通する友人を作り上げるという暴挙に。常に複数人の自己が存在するようになりました。

存在するはずもない人物が次々と出てくるのです。無意識にリアクションが大きくなり話を広げようとしていた記憶も。

人格不信の元となった教育者たち

一方でクラスの担任の先生にいじめの実態を打ち明けるという機会が訪れます。結果は残念なことにクラスに馴染めるどころか教室全体に違和感しか残らないという始末。

後に判明したのはフォローが下手な教育者だったこと。教室の異常なほどの違和感に傷ついたことはいつまでも忘れることができません。

それを痛感したのが同窓会でのこと。成長して大人になったクラスメイトたちはお互いの変化に驚き戸惑いが多々あった様子。いじめに加担した男女に対しての反抗心と不満が。

フツフツと募ることになるのです。加害者という存在は調子が良すぎるというのが最初の感覚でした。まるで過去の苦い記憶がまっさらに消えたかのように振舞うのです。

その態度があまりにも理不尽でした。手のひらを返したようにヘラヘラしながらすり寄ってくる加害者と教育者に苛立ちを通り越して呆れ感さえ沸き起こってくるのです。

義務教育を終えたら人格が固定化する?

高校でも引き続き部活動と教室での二重人格は変わる事がありませんでした。さらに教室内でのいじめはエスカレートしていくばかり。休憩時間やお昼はトイレで過ごす毎日。

常にアンテナを張り巡らせているので家に帰ると脱力感から涙が止まりませんでした。いつまでも馴染めない空気感に堪えられなくなっていたものの。

とうとう最後まで親が受け止めてくれることはありませんでした。熱があってもケガをしても登校しろと言うのです。どこかに逃げるという発想はありません。

毎日部活動のために登校するという意識だけで3年間通学しつづけ皆勤賞をもらうのですが。不登校や引きこもりという概念が無かったのは居場所が部活動にしか無かったから。

ただ皆勤賞をもらったことの意味は未だにわかりません。高校の部活動では更なる厳しい上下関係を学ぶことになるのですが振り返ると肝心な信頼関係には至っていません。

常に警戒しつづけピエロであり続けることを変えなかったからでしょう。

人間不信からの解放は孤独

信頼関係を築けないまま進路を決めないといけない時期に至っても教育者に不信感があるままだったため本音を言えずに卒業に至ります。

本当は進路相談をしたかった。大学は勉強もできないのによく進学できたと未だに不思議な感覚が残っています。中学校からずっと勉強が苦手だったこともあり。

勉強もできないのに就職することは考えられませんでした。大学では孤立する必要がなく良い意味で孤独に過ごすことができました。ただ一抹の不安が。

勉強もできないのに社会に出る事は不可能に思えたこと。無理だとか怖いとかの感情に支配されていたのです。

将来と未来がリンクしない現実

目的の無いまま勉強という面ではムダな時間を過ごすしかなかったのですが同時に周囲に置き去りにされている感覚は常にありました。相変わらず目移りして迷子なのは相変わらず。

結局最後まで孤独を満喫したので将来に関わる情報を入手することができないという失態に。今でも唯一の後悔。現実には人との関わりを学ぶ期間を逃していたという結果に。

いじめから解放された大学を卒業したのですが既に人格が固定化していたので就職してもいじめの対象になりました。これが悲しい現実だと悟ったのです。

まとめ

いじめは単純明快なスタートだと感じます。それは態度が気に入らないから。容姿が変だから。汚いから。キッカケになることは実に小さなことで始まるのです。

実際に具体的な理由は聞けなかったものの失言があったからという理由で仲間外れになりました。要領が良いと態度を改めることができたのでしょうか。

容姿がキレイなら避けられたのでしょうか。答えを探している間に時間が経過して複雑になるいじめの構造。だからこそ問題が大きくなるのだと考えます。

大人になってパワハラやいじめの世界にドップリと浸かってみると学校との違いを痛感します。理不尽で理解不能ないじめほど大人の世界には多いことが分かってきました。

理由は大人の世界は年齢層も幅広く教育者の管理下に置かれている状態ではないこと。だからこそ常にイライラに支配されている状態なのです。

人の心理は極端な構造。いじめの正体は、ほぼ怒りと悲しみから起こるもの。実は表裏一体。良いことや嬉しいことがあってもココロは疲れます。

それは喜びにもストレスが伴うから。人の感情に波があるのは当然。困った時にはココロの声に耳を傾けましょう。年齢を問わず人生を終わらせる衝動にかられること。

それは度々訪れることもあるでしょう。一人の人格として認められない不満や不安から逃れるためにも自分自身と向き合うことが大切。

他人との距離感も重要です。他人事とはよく言ったもので境界線をきっちり線引きすることは人生を生きる上で必要最低限の自己防衛方法なのです。

他人のことをわが身のことのように感じる気持ちは当事者としてとても理解できることです。でもオブラートのように境界線がとても薄いとすぐに破けて他人に巻き込まれることに。

いじめの被害にあったからこそ相手の立場に立てることはとても良いことです。良い性格になった我が身を褒めながら他人との境界線を強くしていきましょう。

明日こそ巻き込まれない!小さな目標から始めていくことが第一歩となります。この記事が少しでもあなたのお役に立てたなら幸いです。

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