人生をラクに楽しく!自由な生き方を目指せる6つのポイントとは?

人生をラクに楽しく生きたいって思いませんか。もっと肩のチカラを抜いてリラックスできたら良いのに。何ものにも縛られず自由な生き方をしてみたい!

毎日どうしてこんなに必死に生きているんだろうって思ったり、必死に仕事しても何だか空回り。達成感でさえ感じることが出来ないなんてつまらない!

周りに認めてもらおうなんて、おこがましいけれど人生って本当に大変な事ばかり。そんな毎日に、もう疲れてしまいそう。ついネガティブな考えになりがちです。

そんな時こそポジティブにって思うんですけどムリ。それでも人生には節目ごとに目標があって、その地点を目指しているつもりなんですね。

いつも壁にぶつかってばかりでツラい。毎日が、しんどいんです。今回はそんなツラい人生の岐路に立った時に確認してみたいポイントとコツを6つご紹介しましょう。

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我が身を大切に

人生設計をキッチリと立てることって本当に大切です。そして、人生の節目ごとに目標を達成できていたら、我が身をいたわって褒めてあげましょう。

問いかけたい自分へのメッセージ

もう十分すぎるほどに、一生懸命努力してきましたよね。でもちょっと待ってください。人生設計通りに進みすぎて、勢い余っていませんか?

そこで問いかけたいことが自分自身へのメッセージです。我が身を大切にしているかどうか。本来は、自分らしい生き方のために理想や目標に向かって目指しています。

自分らしさを理想としているハズなのにいつのまにか目標自体に振り回されていませんか?我が身をかなぐり捨ててまで人生設計に忠実である必要があるんでしょうか。

それが果たして本当の本来の人生と言えるのかどうか。仕事でもワーカーホリックの度合いが過ぎてしまうと、心身共にボロボロになってしまいますよね。

自分らしさを目指して

ここで大切なことは、我が身を改めて振り返ってみるということなんです。自分らしさこそが本来の理想。目標設定もとても大切なものなんです。

でも、自分らしさを忘れてまで目標を達成できても実感は薄いものに。自分らしさを忘れて、誰かのための目標になっていませんか?

例えば、仕事で営業目標を達成したという努力も大切なことなんですが。ワーカーホリック度がひどい場合は心身がボロボロになってしまいます。

そこまで働いて得るような目標ってどうなんでしょう。会社の1つの歯車としての達成でしかありませんし、結局心身がボロボロになってしまっては元も子もありません。

ココロを大切に満たしていくこと

人生設計において、本来ならココロが満たされてこそ目標を達成したときに安堵できて癒されるのです。これは努力を怠るという意味ではありません。

努力とは、我が身の大切さをベースにして成り立つものだということ。人生を生きていても何にも面白くない、ツラいと思うなら一度我が身を振り返ってみましょう。

自分自身のココロに向かって我が身を大切にしているのかどうかを聞いてみるんです。大切にしているのならツラさって忘れられるはずですよね。

何より人生がツラいと感じなくなります。人生はどの地点からでもやり直しが可能。目の前の新しいドアを開けるイメージで人生を切り開いていきましょう。

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完璧主義をやめてみる

何事にも完璧主義ではありませんか?仕事や家庭に対して、気を抜かずに完璧に仕上げるということは確かに素晴らしい目標です。いわゆる理想でもありますよね。

完璧な架空の人物像

でも実際には何もかもに完璧な人って存在しないんです。ケアレスミスひとつでさえ、許せないと言う気持ちは時と場合によっては理解もできます。

でもミスのひとつくらいした方が人間らしいんですよね。映画やドラマに登場するような、何もかもに完璧な人物像を追い求めていませんか?

確かに人生において今日だけは、どんな場面でも完璧にこなさないとダメ!という時ってあるものです。でもそれって一時的なものであって一生続くワケじゃありませんよね。

完璧を求めすぎてしまう

完璧じゃないとダメ!というのは本来少し誤解している部分でもあるんです。会社では良い上司でありたいですよね。良い同僚でもありたい。

プライベートだったら良い友人であって良い妻や良い夫。完璧な理想を追い求めすぎていませんか?少し指摘されただけで完璧を目指すような状況なんでしょうか。

相手側から見て、いつでも求められている条件のようなもの。さらには当事者本人から見ても、少しのズレも許されないと思い込んでいるのです。

完璧という思い込みがストレスに

確かにパーフェクトなら、すべてがうまくいくような気持ちになるのも分かります。でもそれは単なる理想ですよね。確かに、夢を持つことは素晴らしいことですけど。

事実、完璧な人ってどのくらい存在するのでしょう。どんな場面においても完璧でありたいと思う気持ちもわかりますが、本当にそれが正しいのでしょうか。

どこかでフラストレーションがたまっていくのを感じませんか?完璧が正しい道だという思い込みがストレスを呼び起こし、心身に影響する場合もあるんです。

「べき」言葉を使っていませんか?

「べき」言葉が得意な人が完璧主義者に多いことは有名な話。これもあれもこうするべき。「べき」言葉でがんじがらめになってしまうと、ストレスも同時に発生することに。

完璧主義の人が陥りやすいストレスの行先は、精神的にも体力的にも崩壊してしまう恐れがあるということなんです。心身のバランスというのは非常に繊細なもの。

繊細なものの取扱い方を一度間違えてしまうと、どんなに後悔しても後戻りはできません。何より過去に戻ることは絶対に不可能なんです。

完璧主義者の脱落

完璧主義だったのに、ある日突然何もできなくなってしまった、という話は近年よくあることですよね。最悪な時は消えてしまいたい程に自責の念にかられます。

完璧というものを求めすぎると、実態のないものまで取り込もうとムリしてしまうことも。完璧主義を貫くなら、要所ごとに達成すれば良いのです。

何も完璧主義を否定するわけではありません。ただ、ずっと気を張りつめて緊張した状態を24時間365日維持し続けるというのは最初からムリな話というもの。

緊張感を持つことは大変良いことですが、何事も適度にという言葉を意識すると良いですね。何より我が身の完璧になりきれない部分を意識して受け入れてみましょう。

少しだけラクになりませんか?人生というものに、一生完璧という言葉は無いのです。力まずに進んでいくのが一番我が身の為になりますし、何よりラクな人生に近づけます。

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過去の後悔や罪悪感から解放してあげよう

人生の節目ごとに新しい扉が開いていくワケですが、必ず新たなチャレンジを求められるような場面に遭遇しますよね。まるで試されているかのように。

過去の失敗

新しい扉の向こう側に、すぐ大きな壁が立ちはだかるようなイメージ。そんな時に限って失敗した過去を思い出したり、何かと理由をつけて避けようとしていませんか?

本来は、過去に失敗した経験が次の成功につながるはずなのに、今はそんな余裕がないからとか。どうせそんなこと出来るはずがないからと最初から諦めてしまったり。

壁を越えてしまえば何てことなかった、という場合が多いのに。意外にも過去を引きずっていたりして、失敗したらどうしようとか、出来なかったら恥をかいてしまうとか。

失敗は恥じゃない

色々と考えてしまうのもわかりますが、取り掛かる前から言い訳してしまう場合。そんな時は確かに過去のことがよみがえるので、思わず逃げ出したくなります。

失敗した経験が無いのなら前にすすめるかもしれませんが、大人になって社会経験を積めば積む程、いろんな経験をするはず。ですから失敗の一つや二つはあるもの。

失敗すること自体が悪いわけではないのです。人は後悔したくないイキモノ。中には見栄を張りたい人もいることでしょう。要するに恥をかきたくない気持ちが先行してしまいます。

逃げても、あらわれる壁

肝心な時に、緊張するような事が目の前に現れると、とっさにポジティブなことよりもネガティブな事を考えてしまうものなんですね。

ポジティブなイメージが出来ると次のステップを考える余裕が出来るのですが、出来なかったらどうしよう、というネガティブな感情に支配されると別の道を模索することに。

一時的に目の前にある壁から目をそらして見過ごすことが出来たとしても、いつか同じような壁が目の前に立ちはだかるのが人生というものなのです。

思い切りも必要

逃げても同じ課題や人生の山が目の前に。一度くらいは目をそらしてもスルーしても大丈夫なんですよね。なぜならラクな道を選ぶことも必要だから。

ただ、どうしても越えなければいけない壁はいつか現れます。その時には似たようなシュチュエーションだったり、デジャブだとか思うかもしれませんね。

人はネガティブな過去をよく覚えているもの。タイミングにもよりますが、時には「エイヤ!」と勢いをつけて、壁をのぼってみるのも一つの方法なのです。

過去から解放してあげよう

失敗するかもしれない事に対しても人生経験だと、ある意味割り切ってチャレンジすることも大切なこと。怖がっていては、いつまでたっても前にすすめませんから。

それに毎回失敗したり、後悔するようなことばかりでは無いはず。目の前の壁は意外にも簡単に乗り越えられることの方が多いんですね。

過去の後悔や罪悪感などに縛り付けられているのだとしたら、一度我が身を解放してあげましょう。きっと明日は爽快な気分になれるはず。

周囲に気遣いばかりの八方美人を卒業しよう

周囲から常に好かれたい、という気持ちを持つことは自然なこと。周りに気遣いする事で好かれたり、好意を持たれたりするのは、人気者の方程式のようなもの。

気配り美人?

人気者は色んな意味で配慮ができる人、という場合が多いんですね。だからといって安易に人気者のマネをしてしまうのは、少し考えもの。

なぜなら人気者のあの人だってウラの顔がきっとあるから。そのウラの顔まで把握できているようならチャレンジしてみるのもアリでしょう。

ただし、八方美人という言葉があるとおり、周囲に好かれたいがために、我が身を二の次にして気配りしたりするのはいかがなものかと。

要領の問題なのか

自分が一番!という考えを持つタイプには、絶対に思いつかないような発想ですよね。我が身を犠牲にできる人は基本的に優しい人で柔軟な考えの持ち主。

とても良い性格だという場合が多いのですが、我が身を二の次にしたり忘れてしまうなんてことも。険悪な雰囲気を和ませるために我が身を犠牲にするタイプもいますね。

でもそれは一瞬の場面のこと。和ませることで、我が身を含めてみんなが気持ちよく過ごせるようになりますね。

無理な八方美人は疲れる

一方で、ずっと周囲に気遣いしっぱなしというのはどうでしょう。我が身を犠牲にしてまで、他人に自分のやりたいことを譲ったりし続けるとどうなるのでしょう。

周囲の雰囲気を壊したくないからと、特に険悪でもないのに自己主張できなくて、肝心な時に意見を言えない状況になってしまうなんて本当に悲しいですよね。

八方美人タイプは基本的に疲れやすい。何より周囲に気遣いを見せたとしても、そもそもその気遣いに気づいてくれるのかどうかもわかりません。

しかも、その気遣いに応えてくれるとも限りません。同じように気遣いをしてほしいから、という理由ではないという事が多いのが問題だったりします。

自分軸という存在感

見返りを望むタイプは自己主張が出来るからなんですね。人気者に憧れたり、尊敬できる人がいたら、普通は、そうなりたいという幻想を抱いたりするもの。

想像してみてください。人気者や尊敬する人の言動を良く観察してみてください。その人気者で憧れの人は我が身を二の次にして周囲に気遣いをしているでしょうか。

おそらく観察してみると安易にマネできないような事があるはず。それは自分軸を持っているから。自分軸とは一つの信念や筋を通すといったようなものです。

本当の気遣い上手と八方美人の違い

自分軸は我が身を守り、我が身を大切にできる要素なんです。自分軸を持っていると周囲に振り回されることがありませんから、その上での気遣い上手だと言えるでしょう。

ですから単なる八方美人ではないはず。人気者に対して妬む人の存在を忘れてはいけませんね。そんな周囲の敵視も気にしないような自分軸を持ちたいものです。

安易に憧れの人のマネをしてまで周囲にゴマをするのは考えもの。それに自分軸が無いのでグラグラ揺らいでしまうだけで、気遣いに疲れてしまうでしょう。

自分軸を作り上げること

疲れてしまうだけでなく、周囲に気遣うことも我慢の連続となってストレスになるはず。ストレスはイライラのモト。ストレスが蓄積されればいつか爆発する可能性も。

自分軸が無いので周囲に巻き込まれた挙句、本当の自分自身がどこかに行ってしまって見つけ出せない可能性も。だから生きるのがツラいなんて思ったりするんですね。

そんな時こそ振り返ってみたいのは、周囲に気遣って自分自身を見失っていないかどうかを確認することです。自分軸を探しに行きましょう。

人はそもそも、色んな側面を持っているんです。自分自身をいろんな角度から観察して自分軸を作り上げましょう。その後で周囲をあらためて見ると世界が変わっているはずですから。

こだわりを捨てること

こだわることが良いことも沢山ありますね。こだわりの品物やこだわりの食べ物だったり。こだわりの趣味だとか、何事にもこだわってがんじがらめになっていませんか?

こだわりの性質は二面性

こだわり自体にこだわっていたりしませんか?こだわりの性質として決して良いとは言えないことも多々。自我が最優先の場合は、こだわりが捨てられずに。

こだわりの思考をもっていたり、価値観にこだわりすぎるという点ですね。他人に左右されずに自我を持っていること自体、全てが悪いことだとは言いませんが。

我が道を行くタイプや周囲の心配をよそに突き進んでしまうタイプは周囲のアドバイスを聞き入れません。そんなこだわり体質の人もいますね。

二面性のあるこだわりという言葉ですが、一歩間違えると生き方さえ間違ってしまう可能性が。理想は、周囲からの注意を素直に受け入れてその場に合わせた行動が出来る人。

一方でこだわり体質なせいで考え方に固執したり執着したりして、その場の空気を読まなかったり。周囲に合わせられないタイプは良い人として扱われるのでしょうか?

ラクな生き方への変換

生きる上でこだわりも時には必要。でもこだわり体質ながら何かにとりつかれたように自分の世界という枠の中で生きている人は、果たして幸せなのでしょうか。

生きるのが大変ですよね。執着することでラクになれることなんて無いんです。どうしても譲れないということもあるでしょう。でも融通が利かないと周囲に迷惑をかけることに。

気付かない場合は意識的に周囲を見渡してみましょう。周囲の目線に我が身を置いて客観的に振り返るのも良いこと。それがこだわり体質からラクな生き方への変換という第一歩に。

常に他人を比較対象にしないこと

物心ついた時から人の比較されて育ってきた環境にいる場合や常に人との競争の中で生きてきた場合、何事にも他人と比較して勝ち負けを決められてきた人生。

競争社会はプレッシャーの連続

常に競争や比較の中に身を置いてきた人生を振り返ってみると?競争社会と言われる昨今、常に競争馬のように走り続けなければダメだと思うタイプが多いですね。

常に他人よりも秀でていないと!というプレッシャーがあると、学校や社会に出た時に勝たなければいけないという環境に身を置くことに。

他人と比較しているから人がうらやむような環境を手に入れたいと思うんです。家族を持つ段階においても自慢できるような伴侶を得て家庭を築いていくといったような。

比較が全てではないのです

常に周囲を意識した環境づくりが人生の最大の目標となります。他人と比較することが人生の全てなのでしょうか。競争することに慣れてしまって気づかないのかも。

比較や競争を意識しすぎて他人よりも少しでも優れていたいと思ってしまうのでしょうか。そんな矢先に挫折が訪れたりしたらきっと苦しいはず。

それに生きることの意味を見いだせなくなってしまうかもしれません。それではあまりにもツラすぎますよね。比較や競争から逃れられない場合はどうでしょう。

追い抜かれた時のショックが大きな打撃に。ショックがストレスとなって自暴自棄になる可能性も。

競争や比較からの解放

比較するための人生じゃありません。基本的に競争社会と言われているものの会社組織が生き残るためだとか、周囲との歩調を合わせてのことなんですね。

大人になればなるほど、周囲との協調が優先事項となっていくのです。協調するということは競争や比較する世界とは一線を画します。

会社組織など我が身の置かれた状況を周囲と協調させることで競争から離れることができるはず。比較や競争体質を改善すれば生きることがラクになりますね。

ラクになれば自由を手にすることが出来ます。自由を手にすると人生が楽しいものに。比較や競争でギスギスしていた関係から解放されると一気に幸せ感がやってきます。

まとめ

人生は本来ラクに生きて楽しく過ごすことを目標にしても良いはず。いくら平和ボケといわれている昨今においても、周囲とのギスギス感というのはいつの時代も変わりません。

そんなギスギス感から逃れることは、平和ボケとは全く違う意味で自分自身の解放につながっていくのです。楽しくてラクな人生にしてみませんか?

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