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親と子

毒親は父だった?知らずに成長した体験から伝えたい3つのこと!

2019-09-16

毒になる父親が存在する!衝撃のニュースを信じたくありませんでした。この事実を受け止められるのか自信はなく、この世に毒親という母を持つ当事者として生きる道を閉ざされたような感覚に陥ったのです。

 

 

父親が毒親である要件は毒母とは男女の差が異なる程度のもので、両親ともに毒親だったという衝撃にダブルパンチをくらわされた気持ちになりました。

 

毒親の認知度は年々上がっている昨今ですが、どんどんその輪が広がり続けて連鎖が続いている現実を知ってしまうと危機感よりも恐怖心が先に。

 

  • 父親の言動が理解できず信用できるレベルではない
  • 強烈な違和感の存在に対処しようとした過去はあるが、太刀打ちできるものではなかった
  • 父親の外面が大変良いので、周囲に苦しみを理解してもらえない

 

同じ男としての子供の立場ならどう考えることができたでしょう。女として生まれ母親が毒親であり父親も毒親だったということは、男女の差を考える必要がないということなのでしょうか。

 

男親ならではの対策を立てる必要があるのか?という疑問や苦悩がありました。なぜ毎日こんなに苦しいのか、苦しまなければいけないのか本当にわからずに過ごしてきた日々。

 

毒親に父親が該当するとは知らずに生きてきてしまった当事者として改めて苦しい過去を振り返りつつ、同じように苦しむ人がひとりでも気づきと癒しにたどり着くように3つのポイントをご紹介したいと思います。

 

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その1.ひとりで頑張らなくてもいいんです!

 

 

家族構成の中で長女や長男といった位置づけにある人が責任感からやってしまいがちなこと。家族の歪みを何とかしようと努力すべく大切な青春時代を奪われてしまう現実があります。

 

特に父親という存在には「大黒柱」という刷り込みが幼い時からあったりするので厄介。近年やっと共働きという形が定着してきたようですが、勘違いしている男親は残念ながら存在するのです。

 

大黒柱だから絶対的な存在感だと信じ込んでいませんか?得体のしれない恐怖とたたかっていませんか?理不尽なコトバの暴力に屈していませんか?手当たり次第モノを投げつけられていませんか?

 

信じたい理想の家族像と現実のギャップ

 

核家族という形が一般的になっている昨今では、子供は自然に現実よりも「こうあってほしい」と願う家族像を夢見て追い求めるものです。現実を直視したくない本能が働くのですね。

 

最終的に理想と現実のギャップを学びとして立派に成長していけるような環境に巡り合えば良いのですが、日々起こっている問題に行政の対応が追い付いていない現実が輪をかけて悪循環に。

 

結果的に毒になる親の存在がクローズアップされる一方、大人になってから「そうだったのか!」と気づく人たち。そして気づかずに連鎖するように毒を持つ親になる「かつての子供」たち。

 

理想を求めれば求めるほど現実とかけ離れていく日々。奈落の底から這い上がろうともがけばもがくほど絡みついてほどけない紐のように、世代間連鎖は続いていくのです。

 

無意識に頑張りすぎて気づかない

 

なんとなく息苦しいんだけれど、助けを求めても良いのか判断できないのが毒親の元で育つ子供です。判断を鈍らせるようなダブルバインドを日々受け続けているから。

 

  • ダブルバインドとは

心理用語に使われるコトバのひとつでもあり、この場合は親からのコトバが矛盾になっていたり、否定に否定を重ねるコトバを投げかける現象のこと。

「自分で考えなさい」と言った後に「それは違う!なぜ出来ない?」とコトバの挟みうちをすることで、まともに耳を傾けた子供は一体どうしたら良いのか判断が出来なくなってしまうこと。

 

ダブルバインドを受け続ける子供はワケがわからないまま親の期待に応えようと必死になるのです。矛盾したコトバの世界を無理に理解しようと頑張りすぎて疲れてしまいます。

 

無意識に一生懸命になるので疲れていることさえ忘れてしまいます。そして将来出来上がる一つのかけがえのない人格は何も決められない、何も判断ができない「大人で子ども」というレッテルを貼られることに。

 

何もかも背負わないために

 

一生懸命になっていたり必死に期待に応えようとしたり、小さいころからの習慣になっていて抜け出すのは難しいこともあるでしょう。ある時ちょっとした違和感に気づいたら立ち止まることです。

 

背負ってしまっている荷物を全て足元に置いてみましょう。息苦しいのは荷物のせいかもしれません。必死すぎて息切れしそうなのは無理して走り続けているのかも。

 

オリンピックで金メダルを取るために走り続けるのとはワケが違います。長い人生、時には走ることもあるでしょう。でも一生走り続けることはありえませんし何もかもに責任感を感じる必要もないんです。

 

1日の中にお昼休みがあり夜には睡眠時間があるように、人は休みながら生き続けていることを思い出してみましょう。

 

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その2.価値観や気持ちの共有を求めなくていいんです!

 

 

子供は父親が未熟人間なのだと気づいた時、無意識にカバーしようとしてしまいます。常に疑問と隣り合わせにも関わらず自らを制したり自粛するクセがついてしまうのです。

 

父親が絶対的存在だと植え付けられて逆らえない子供の立場としては、ムリなのに最大限理解しようと努力してしまいます。価値観が合わないことは成人してもなお疑問形のまま。

 

疑問に思いつつも父親を神にも例えられるほどに癒着が進んでしまうのが毒親家族の不思議でもあるんです。気持ちを汲み取ろうと必死に成長していきますから当然思いやりのある優しい人に。

 

優しいといっても人間は所詮、表裏一体のイキモノです。優しさのウラには葛藤の塊がムクムクと育っていてすさまじいストレスを抱えています。いつ爆発してもおかしくない程に。

 

何か問題に発展したときにはキレやすいと非難したり、おとなしい子だったのにと意外な一面を知ったかのように周囲は誰一人として現実を直視しようとしません。

 

親子であっても個の存在はそれぞれ

 

「血は水よりも濃い」というのはあくまでも家族の絆の話です。個性や個人というレベルで考えた時、絆と価値についての考え方は全く別なものになります。

 

価値観として共有できるかどうかも親子関係に属しません。つまり無関係なのです。視点を変えることが出来なくなってしまうのも毒親家族の特徴と言えるでしょう。

 

家族の絆を価値観の統一とすり替えてしまう巧妙な手口も気づきにくいのは毒親のダークな部分であり非常に残念で悲しい構造。自我や個性に目覚めて一刻も早く自立へとつながるのが理想ですが。

 

毒親家族の悲しい構造は子供の成長を阻害するばかりでなく、理想とする成長から遠ざかるばかり。外の世界に飛び立とうとする自立心さえ粉々に打ち砕かれます。

 

「わかりあえる」のには限界がある

 

毒親にありがちなのは我が子への期待や束縛。毒された父親は「理解しあえる」と勘違いしている節があります。これも個性と同じように学校の友達とわかりあえる感覚と同じこと。

 

所詮違う人間なのですからどこまでも「あうんの呼吸」というワケにはいきません。毒親はそのこと自体に気づかないことが多いのです。ですから「わかってると思っていたのに」と愚痴るのです。

 

愚痴るだけならまだマシでしょう。「なぜわからないんだ!」と暴れたりする毒親も珍しくないからです。かろうじてある程度の成長ができた段階で言われると辟易している自我が芽生えて実感します。

 

毒された父親が絶対的な存在である以上は、たとえ自我が芽生えたとしても自らを否定し慣れた環境に舞い戻ります。そして理解しようと努力するルーティンな環境に身を置き落ち着くのです。

 

感情はもっと自由でいい!

 

残念な環境に身を置き続けるため価値観にも本来の自我の中には存在しません。自我がうまれないと感情を表現することが困難になります。特に人前での緊張度はアップするでしょう。

 

同時にフラストレーションもメーターを振り切る可能性を秘めています。ある日突然噴き出るように感情があふれ出すのです。正しい方向に感情が向かえばその先には自由が見えてくるはず。

 

ココロの赴くままに、抑えていた感情のコントロールが効かなくなってきたら本当に打ち込める何かを見つけて表現してみましょう。一度自由に開放された感情はアーティスティックなパワーになることも。

 

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その3.負け戦に見えるのは錯覚なんです!

 

 

不思議なものだとつくづく思うのは、正体不明の劣等感がいつもつきまとうことです。正体不明な上にどこからともなくやってくるので厄介。劣等感は時に卑劣な考えの芽生えにもつながります。

 

何かの感情が欠如しているような気がするのですが、どこに落としてきてしまったのか。非常に無機質な感覚とでも言いましょうか。つまり性格に影響してしまう環境だという事実。

 

親にはかなわないものだと言うのが常識でしょうか。この場合の劣等感は常に卑下されることからの歪んだ正体が見え隠れするのです。毒された親たちに振り回されると劣等感から抜け出すことは難しい課題となります。

 

負けず嫌いや頑固になりやすい

 

全ての人にあてはまるとは言い切れませんが傾向として頑固になりやすいと自己分析しています。本当は柔軟に対応したいんです。でも偏った考え方から逃れられない。

 

毒を持つ父親の性格に関係するとは考えたくもない、事実と向き合いたくないけれど目の前に立ちはだかるのでイヤでも気づかされます。必死に目の前の壁をよじ登ろうとするのですが。

 

壁さえ超えてしまえば解放という素晴らしい世界が目の前に広がるはず。そう信じてやまないのですがタイミング悪く毒された親に引きずり降ろされた上に、歪んだ日常に戻されます。

 

葛藤する価値さえないこと!たたかうに値しないと知ること

 

一度社会という広い世界で他人を通して観察できるようになると、今までの自我との葛藤に苦しむようになります。本当は無意味だったことを知ってしまうからですね。

 

たたかうこと。これはケースバイケースで時に大げさな表現とされてしまうでしょう。でも小さな核家族という世界の中で、いかにムダなチカラや時間を使っていたかを思い知らされます。

 

本来ならこんなに疲れてしまう必要は無かったんです。例えばダブルバインドだと何となく感じていながら必ず返答することや言い返すこと等、常に頭の中はフル回転。

 

ダブルバインドは、指示されつつも同時進行で答えを自分で探さなければいけないというダブルアクションを求められるので自然にたたかうことになってしまいます。

 

毒親に無意識の対抗意識が芽生えたハズだったのに。問題がすぐにすり替わってしまうので、いつの間にか自問自答の世界という迷宮に入り込んでしまうのです。

 

我に返れば自分自身とたたかっていて、また葛藤するという繰り返しに。まるで見えない無限ループの世界ですね。葛藤している我が身に気が付いたら、ループな世界から抜け出すチャンス到来だと思って良いのです。

 

まとめ

 

お伝えしたポイントは3つです。

 

  • ひとりで頑張らない、頑張りすぎないこと
  • 価値観や共有を求めない、期待しないこと
  • 挑まれても戦う必要はなく、その価値さえない

 

毒親のモトに生まれてしまった子供としての生き方の正解はあるのでしょうか。一生苦しむ人もいるくらいですから相当な葛藤が続いていくのです。親から離れたとしても自分自身と向き合うことの苦労が待ち構えています。

 

第一毒になっている親の存在を認識することが大前提にあることさえ気づかなかった当事者として思うことは一生気づかない人も存在するのだという現実への衝撃でした。

 

まずは気づくことから。幼稚園や小学校など学びの場で過ごすのは本当に貴重な成長期という段階、他人の家族とのふれあいの機会に自分自身の家族との比較で少しでも違和感を感じたなら機能不全な家族だったのだと疑ってみることです。

 

親の愛情を受けられなかった経験を持っていると他人への甘え方さえわかりません。甘え上手な人を目の当りにしたときに初めて比較できるのです。

 

当事者としては本当に残念だと思うことがあります。それは他人との関わりにおいて理解し合うことも妥協し合うことも学び方がわからなかった事。そのチャンス自体に気づかなかったということ。

 

一刻も早く離れることを推奨する人も沢山います。実際に家族を切り離すということを実行する人も。ただ注意したいのはやみくもに逃げるだけ逃げて闇に迷いこんでしまうこと。

 

家族としてではなく毒された輩の存在が偶然にも親だったという割り切りの気持ちを持つことで親子関係で利用できるチャンスを見出すことも一つの方法だと実感するのです。

 

一番大切なことは命を守る手段を探すこと、模索することです。結局いろんなことがわかってくるのは他界した後でした。軽蔑したくなるような事実と向き合わされるのです。

 

生きていること自体が一番厄介だと思っていたのでダブルでショックを受けることにもなります。毒親があの世に去ったことで手元に残るものは無くてもそれ以上の被害を被ることは無くなります。

 

不思議なことに天罰という存在があるような気さえしました。気づいてからしか行動できないのは運命だとも言えるでしょう。この記事が毒親の存在に気づいたあなたに少しでもお役に立てれば幸いです。

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