2018-10-10

ブログ挫折しそう?対策としての「フィクション」な発想はアリ?

ふと思ってしまったんです。ブログってどこが終点なの?ブログは基本的に長くながーく続けた方が良いとか教えてもらえたりしますけど、それって期限はあるの?

何年も安定した記事を公開して継続しているブロガーさんって本当に憧れます。でもすでにブログ構築が出来ている人に「継続が基本!」なんて言われると逆に落ち込んだりします。

継続だとか基本という言葉に拒絶反応が出てしまう人のためにステキなアイデアが無いか考えてみました。落ち込みは挫折に繋がりかねないという危機感から。

ムリなく楽しくブログを作り上げていく上でフィクションという発想はアリなのかを検証していきます。ブログ挫折への対策になるという核心にも迫っていきましょう。

スポンサーリンク

落ち込んだ時の発想力?

ブログの世界というよりブログをとりまくシステム的な環境が「素晴らしい」って思うことがあります。ブログを書いている人は本当にたくさんいるわけで正しく伝えるために日々更新してます。

さらに何より紙媒体より優れている点は訂正する機会があることです。紙媒体が基本という時代背景に生きていた立場としては本当に素晴らしいことだって思います。

そして説得力がない等の理由で「世間からつまはじき」にされることもありません。ブログやサイトは沢山の情報を共有することができます。

正しい情報を受ける手段だって、いくらでもあるわけです。事実、完成度が高いブログやサイトは上位に表示されます。ですからおのずと基準というものが出来上がる。

シビアな部分もありつつ継続する意義を見つけやすいとも言えます。

挫折しやすいメンタル?

これは素直に思うことで純粋に羨ましいだけなんですけど。まだまだ発展途上のブログだなんて思うところもあったり。ほんのちょっと嫉妬の気持ちが湧いてます。

だって人間ですから!でも嫉妬にかられている時間さえ無駄にしたくないものです。ブログ訪問の際には興味ある記事から読み取ったり学んだりできる「チカラ」を得たい!なんて思いつつ。

沢山あふれている情報の中から確かな情報を見抜きたい!誰だって同じことを考えます。羨ましいという気持ちは、どう変化していくのでしょう。沢山の記事数をみて圧倒される気持ちもあります。

どのくらいの期間で、どれだけの記事数をアップしたという「ビックリ情報」もあります。なんだか、とっても悔しい!この気持ちはいったい、どこからやってくるの?

アタマの中で、何が起こっているのでしょう。

嫉妬というエネルギー

偶然とか偶発的なのかもしれないです。「まぐれだ」と言われるかもしれない。でもすごいエネルギーをもらえるような気持ちもあります。

「嫉妬」がエネルギーに変わる瞬間とでも言いましょうか。「書いてやろうじゃないの!」という具合に。で、なにを書くのか?ですよね。

「オモイのタケ」を綴ればいいんです。勢いに乗ったこの瞬間に!書き続けるんです。使っていないアタマの一部を活性化させましょう。

もはや現代の長寿社会には「必須項目」とでも言えそうです。頭脳活性化計画を始動させましょう。アタマのスミズミまで活動させること。

まさに訓練!の毎日となるわけです。発想の転換は意外な瞬間に訪れたりします。嫉妬している間に温存していたエネルギーをアウトプットに変換!そして集中させましょう。

スポンサーリンク

とりあえずフィクションにチャレンジしてみる

まず記事のネタについて考えます。過去の出来事や経験談になりがち。ちょ、ちょっと待ってください!ノウハウ物が多いのも経験値からだ言えるからなんです。

世の中に情報があふれるのは経験値のアウトプットが多いという証拠。もちろんお役にたてる情報はどんどん公開していくべき!なんて断言しちゃいます。

そんな風に思いつつも憧れるのはスラスラと毎日確実に記事をアップする姿!なワケです。ふと訪れたブログでは私小説や物語といったテーマ。

あ、これってもしかして「ヒント?」とかアタマに浮かんだりして。そして、これってアリかもという風に。私小説は経験談を軸に随所に「フィクション」を追加していくんです。

小説はゼロから土台から作り上げるという感じです。物語は憧れの世界を描けます。

ネタとして綴っていく

カテゴリーに「私小説」「物語」として設定するのはアリだと思いました。検索してみるとフィクション系ブロガーの方は結構いらっしゃいましたし、それも新たな発見です。

スポンサーリンク

悩んだらフィクションの世界へ

小説や物語は基本的に作者の経験を基に作られている場合が多いです。やはりストーリーを盛り上げるために装飾を重ねるわけです。真実を並べようと無理すると堅苦しいノンフィクションになるかも。

ブログの記事で悩む部分というのは実体験をどのように伝えるかでしょう。忠実に再現してみたり起承転結を意識しすぎるとジレンマがおこったりします。

多くのブログが、ためになるアウトプットをするべきだとうたっています。ためになる事を考えすぎてアタマを抱えて悩んでいるのではないでしょうか?

割り切りブログ?

ネットでブログ訪問を繰り返していると、振り返りの記事って本当に沢山見かけます。ブログを立ち上げた当初「ご苦労されていた」という形跡を残されていたりします。

共通の趣味趣向がある記事に出会ってしみじみと浸ったり「そうだよな~」なんて思ってしまうことも。本当は展開できるだけの経験値や学んだことが確かにあるのに表現って難しい。

毎日複数記事をアップしてきたという苦労話を記事で拝見すると思うことが。そんな神業私も使えたらいいのに。グルグルと考えた結果ひとつの見解にいたりました。

それなら割り切って「フィクション祭り!」してみるのもいいんじゃない?という発想です。意外にも、しっくりくるカテゴリーになると思いませんか?

表現することの自由度

カテゴリーとして取り扱うことは本当に直感なんです。なので言ったものの的外れな発想かもしれないんですけど。(責任持て~!)そもそもフィクションってなんでしょう。

フィクションのイメージとはどういうものがあるのでしょうか。

  • 自由な発想!
  • 自由なアイデア!

イメージするものがあったので早速作ってみました。フィクション系カテゴリーを作ったのです。

案外使える?

カテゴリーの分類に困った時フィクションに放り込んでしまうのもアリ。ネタに困った時も同様にフィクションの世界を展開してしまうんです。フィクション以外はノンフィクションということがわかりますし。

公開するときには読み手のことを考えた優しい仕様となっております。なんて親切な(独りよがり?)自画自賛はさておき。本物とフェイクの差ってなんでしょう。

良く考えると実は表裏一体のような気もします。

表裏一体を利用?活用?

自由に表現することとは?ノンフィクションより秀でるものは何でしょう。そんなのあるの?それは表現するチカラや想像力。人は夢見る生き物でもあるからです。

ですから夢を描くことや自由な表現をすること、夢を描くことで逆に素直になれることだってあるはず!自由に表現するのは読み手に伝わりやすくなる可能性だって十分にあるはず。

歴史上名を残すような発明家や偉人たちのように苦悩するかもしれません。リスクを背負ってまで自由に表現することにこだわるのかというところですよね。

リスクよりも表現する自由がいかに素晴らしい世界なのかを伝えたいです。だからあえて言いたい!自由バンザイ!

フィクションは自由な世界

読み手側の気持ちとして選べるというメリットがうまれます。フィクションに興味がなければそのカテゴリーをスルーすればいいんです。

私小説や物語を書くぞ!という強い気持ちを持つ必要もありません。お気軽でお手軽に取り掛かれるのが最大のメリットではないでしょうか。

なんだか楽しみになってきました!今はひとり、ほくそ笑んでいたり。近い将来未来系SNSが登場したら、そういったアイテム経由でお会いできたら素敵!

共感しあえる仲間を夢みたりします。フィクションならではの想像の世界が当たり前になったらいいですね。

偏食?フィクションは孤独な世界なのか

唯一デメリットがあるなら?なんてちょっと考えたりしました。「フィクション」は独りよがりになりやすいのではないか、ということです。

もちろん全てに共通するわけではありません。内容によるでしょうし。でもほんの少し「偏食的な可能性」を秘めているような気がします。

だれしも好き嫌いがあるように偏食ポイントなるものが存在するような気がするのです。

  • 好き嫌いの食べ物がある
  • 偏った食事が好きである
  • 食べず嫌いなものがある

人によってそれぞれ好みがあります。だからフィクションのメリットを強調してみるんです。アウトプットする手段を考えることは大切でしょう。

まとめ:孤高か共有か極めるワザを磨く

フィクションを共有するということは、どういうことか考えてみます。「とある物語」をネット上の「無数にある本棚」から見つけてもらうこと。見つけてもらうからこそ初めて叶う夢なんですよね。

試行錯誤や対策は必要になってくるでしょう。ブログのためにフィクションを発信するのか。フィクションのためにブログを発信するのか。

視点を変えてみるだけでお話が壮大に。ちょっと収集がつかなくなりそうです。コツコツと積み重ねていけば見えてくるものがあるでしょう。

今はそう信じてます。今日アップする記事に迷いがあったらフィクションという選択してみませんか?

スポンサーリンク