ある日私は心理カウンセリングで「あなたはAC(アダルトチルドレン)ですね」と言われました。ACとは幼少の頃からの家庭不和を生き抜いた証のようなものなんです。

家庭不和とは機能不全家族とも言われる部類のもので両親の離婚が完結するまで毎日が戦争でした。物心ついた時にはすでに人生に悪影響を与え続けた毒親という存在も関係します。
両親ともに毒親体質だったので影響は絶大なもの。さらに両親のそれぞれの親(祖父母)も毒親体質だったため世代間連鎖を兼ねた機能不全家族だったワケです。
AC(アダルトチルドレン)は毒親の存在と機能不全家族という環境で育った証となります。アダルトチルドレンの困った体質からの特徴やクセをご紹介しましょう。
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白か黒か
文字通り「白黒ハッキリ」したいという感情が非常に強いですね。良いことか悪いことか、YESかNOかという両極端な解答を求めがち。曖昧な中間地点が大嫌いです。
グレーゾーンが皆無
最近流行りのグレーゾーンという表現はまさにACの敵。善悪に関しては正義感の強さから絶対に悪を許せない!という姿勢を崩すことはありません。
とにかく白黒ハッキリさせないとモヤモヤして気分がわるいのです。両極端ながら白か黒かの勝負がつくまで納得しません。勝負色が強く最後までやり遂げなければ精神で。
中間であるグレーが一切無く白から黒かにメーターが振り切るまで走り続けるのです。当然のことながら疲労度は通常の何倍も感じているハズなのに結果ありきなので平気です。
100点以外は真っ黒な世界
学校は通常テストがありますから点数によって成績が決まります。0点から100点まで点数の幅があるにも関わらず、80点であっても0点と同等だという考えがACの特徴。
点数で判断されることへの反抗心が芽生えたのは、その時から。テストで100点以外はもちろん赤点は黒。真っ黒な漆黒の世界というワケです。
そして図工や美術などで作品を作ることに関しては受賞するという100点以上の価値を見出したとして白。真っ白の純白な世界の幕開けとなりました。
白と黒の中間である灰色という概念や認識は全くありません。親に認められたい、褒められたいという欲求はあるものの100点以外は無視される環境なのです。
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MUST思考

mustという単語そのままの意味ですが「〇〇しなければ!」「〇〇すべき!」という感覚。それも生死を決めるがごとく、〇〇しなければ生きられないとさえ思うのです。
mustに支配される
思い込みだとか周囲に言われつつも断固として信じて疑わないという姿勢を貫きます。もっとラクに生きられるのにmust思考に支配されてしまいうのです。
本来ならば自由な発想だって許されるはず。あえて、そうしないのは自由じゃないという世界に閉じこもっているから。自由な発想に切り替えようと思っても、なかなか難しいもの。
急に〇〇したいから、という発想を持つことは難しいのです。自らの発想が〇〇したいという欲求を満たすために思考を解放することが怖いのです。
かすかな希望を悪の欲求だと審判されてしまい、正しい道以外は「やめるべき」の一言で閉ざされます。
妥協点という発想が無い
今は〇〇しなければ、という期間がずっと何年も続いたことが後々まで影響。宿題をしなければダメ!今のうちから勉強をしなければ後で困ることになる!という指摘の数々。
規則は守るべきものだから。〇〇すべきという言葉も物心つくころから覚えていくのです。いわゆる「べき」言葉がmust思考の始まりであり終わりの見えない束縛となるのです。
完全にmust思考から脱出することは難しいでしょう。毎日一歩ずつ土を踏みしめるように苦しくもがいているのに妥協点と言う発想はありません。
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自分には価値が無い

私には、そもそも存在価値さえ無いのだと思っていました。どうせ私なんて、という卑屈になるよりもひどい状態。私自体を完全否定していたのです。
ダメ人間になり果てて
話すのも泣くのもダメだという指摘は確実に人間性を失わます。親は間違いを正すことが役目だと思っているのです。褒めることを置き去りに、ただ否定をし続けます。
「結局はダメ人間なのか」という結論に至るまで徹底的に否定。物心つく2~3歳の頃からずっと言われ続けるのです。時代錯誤だと気づかずに親の教育として定着するのです。
黒子への目覚めと戸惑い
成人したからと言って180度思考が変換するようなことは無く、むしろ私自身を全否定するという事に慣れすぎて黒子に徹するようになりました。
これが無意識に出来るようになるので、周囲からは本当に重宝がられるという場面も。社会に出れば、存在意義になってしまうから不思議なものですね。
結局、本当に何がやりたいのかを自発的に考えることが出来なくなりました。そもそもやりたいことって何?の世界で、いつまでも見つからないのです。
要するに自己肯定感ゼロの人間が出来上がるという仕組みです。身近に存在する親が肯定することを知らないということと否定することがしつけだと確信を持つことが問題となります。
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断らない、断れない

基本的に頼まれることは断りません、というよりも私は実質断れないタイプ。わかりませんとか助けてほしいという言葉も大の苦手で言えません。
断るという概念が皆無
断るという概念が無いという面も。対人関係が苦手なので上手く断る理由も見つけられず。沢山の仕事が目の前にあるにも関わらず「良いですよ」と安易に引き受けることが多々。
結局受け入れる側としての業務的な負担は重くなるばかりで、自分自身の首を絞めることになるのです。断れない性格だと変に割り切っている部分もありますね。
情に弱いタイプ
断らない事は仕事相手や仲間である相手に対して、一切を拒絶することができません。断れないので「優しいね」「たよりになる」と言われるものの断り方を知らないから当然なのです。
頼み事をしてくる相手の威圧感に負けてしまうことも多く、受け入れずにはいられない状況をつくられ、いとも簡単に包囲されていきます。
情に弱いという意味で情弱タイプだと言えるでしょう。断り方を知らずに、そもそもの断るという行動が起こせないのです。
コミュニケーションが苦手だからこそ
嫌われたくない一心でしがみついている時もあります。実態の無い確信がどこかにあって、人間関係が苦手であるほど断らないというスタンスを貫こうとします。
そうすることでコミュニケーションが取れるとでも思っているのでしょう。一回やむなく断ってしまうとひどい罪悪感にさいなまれます。
断ったことでチャレンジした仕事が上手くいかなかった場合は責任を感じます。断ったことへの後悔も。そもそも相手の仕事であるはずなのに。
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世話焼きが生きがい

幼いころからの家庭不和によって長子である私自身が家族を取りまとめようとしたり無謀なチャレンジを重ねました。家族会議にプレゼン方式を採用したのは小学生の頃からです。
親の代行という立ち位置
両親が健在であるにも関わらず、親になったように錯覚してしまうのもACの特徴。周囲に気配りしたり、自分のことよりも周りを優先したりします。
世話焼きだと実感できるのは大人になってからなのです。それ以前は無意識に使命感を持って行っていきます。家庭不和である環境が作り出す世話好き体質。
自ら率先して他人の面倒をみるのが好きだと思い込んでいるのですね。どこにでもいるよね、そういう人、と思ったあなたはいかがでしょうか。
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無意識の使命感
世話焼き体質というのは表向きだけではなく、半分以上が無意識による使命感なのです。だから世話焼きの対象となる人を選別する力も自然に備わっています。
もちろん幼少期からのクセですから、一番の嫌がる人と言えば両親でしょう。意味の無いことをやっていると最初は静観しているのですが次第に辟易するように。
ダメ人間に弱い
特に親のような気持ちになっているのです。相手の熱が冷めると敏感に感じ取ることが出来ます。また私自身も相手に対して気持ちが薄れてくると態度が一変。
特定の相手は何も異性だけにとどまりません。男女問わず見ていられない!なんとかしてあげなきゃ!と思えば、同性にでも同じような世話焼き体質がでてしまうのです。
ACという性質上ダメ人間に惹かれるという法則も。これも基本的に男女問わずですが、放っておけないタイプとして世話を焼き始めます。
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ACのコミュニケーション術
相手が選びやすいようにヒントさえ提示できるほど。これは特定の親友的存在だったり気持ちを許しているからこそできるコミュニケーション術。
決して誰にでも、というわけではありません。ダメだから私が代わりに!と名乗りでるのにも相手を傷つけないように気遣いを忘れません。
内心本当に良かれと思っているから出来る事なんです。どこかで誰かが、そんな行動は見下し行為だとか揶揄したりしますが下心なんてないんです。
まとめ
AC(アダルトチルドレン)の性質は本当に沢山の特徴があります。今回ご紹介したクセは以下の通り。
- 白か黒か
- MUST思考
- 自分には価値が無い
- 断らない、断れない
- 世話焼きが生きがい
まだ書ききれないほどのクセや特徴があります。ほんの一部ですが体験をもとにした学びを記録しようとすると必然的に文字数も多くなってしまいます。
クセと表記するのには理由が。それは病気などではなく性質だからです。確かに世渡りが下手だったり二次的症状として病気になってしまう危険性も。
だからこそ、ひとつずつ丁寧に伝えたいのです。明日に生きるために!
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