AC(アダルトチルドレン)ってナゼ白黒つけたがるmust思考なの?実体験からクセを解き明かしてみよう

ある日、心理カウンセリングにて「あなたは、AC(アダルトチルドレン)ですね」と言われました。ACとは幼少の頃からの家庭不和を生き抜いた証のようなものなんです。

家庭不和とは機能不全家族とも言われる部類のもので両親の離婚まで毎日が戦争でした。物心ついた時にはすでに人生に悪影響を与え続けた毒親という存在も関係します。

両親ともに毒親体質だったので影響は絶大なもの。さらに両親のそれぞれの親(祖父母)も毒親体質だったため世代間連鎖を兼ねた機能不全家族だったワケです。

AC(アダルトチルドレン)は毒親の存在と機能不全家族という環境で育った証となります。アダルトチルドレンという性質を実体験から特徴的なクセをご紹介しましょう。

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白か黒か

文字通り「白黒ハッキリ」したいという感情が非常に強いですね。良いことか悪いことか、YESかNOかという両極端な解答を求めがち。曖昧な中間地点が大嫌いです。

グレーゾーンの必要性

最近流行りのグレーゾーンという表現はまさにACの敵。善悪に関しては正義感の強さから絶対に悪を許せない!という姿勢を崩すことはありません。

とにかく白黒ハッキリさせないとモヤモヤして気分がわるいのです。両極端ながら白か黒かの勝負がつくまで納得しません。勝負色が強く最後までやり遂げなければ精神で。

ここで白か黒かをキッチリと決めておかないと、後で絶対に後悔するとまで思っていました。心理教育を受け続けている現在はグレーゾーンの必要性や大切さを痛感しています。

母親からの影響力

そもそもの原因は両親にあり、特に母親からの影響が強く、しつけという形で善悪の区別を厳しくたたき込まれました。校則や規則に関しては特に守って当たり前だと。

母親のしつけは絶対的存在として信じるに至ったのです。テストの点数はもちろんのこと図工や美術といったアート関係な事には必ず表彰されないと無視されます。

逆にテストの点数に関しては100点が当たり前。100点以外は無視されるので学習意欲も無くなっていきました。ただアート関係には興味があったので受賞が唯一の生きがいに。

早期に芽生えた反抗心

点数で判断されることへの反抗心が芽生えたのは、その時から。例えばテストで100点以外はもちろん赤点は黒。真っ黒な漆黒の世界というワケです。

そして図工や美術などで作品を作ることに関しては受賞するという100点以上の価値を見出したとして白。真っ白の純白な世界の幕開けとなりました。

白と黒の中間である灰色という概念や認識は全くありません。親に認められたい、褒められたいという欲求はあるものの100点以外は無視される環境でしたから。

真っ黒な漆黒の世界観

そういう意味で白以外は真っ黒な漆黒の世界にドップリと浸かっていくのです。小学校という小さな社会に出た私は反抗心から友達の家に寄り道するように。

担任の先生に呼び出される度に、黒い世界が近寄り真っ黒な世界にようこそ!と招かれているような気になりました。一般的に中学校や高校の時に現れる反抗期はすでに小学校で。

ACの家庭不和という環境がどのように私自身に影響するのかは、実体験として得た真っ黒な世界に浸る事で理解していたように記憶しています。

真っ白な純白の世界観

逆に中学校に進学してからは部活中心の生活になりました。文化部ながら強豪校ということで非常に指導が厳しく、幼い頃にしつけられた厳しい教育が蘇ったのも事実です。

部活はいわゆる校則よりも厳しいルールがあって、私にとっては真っ白な世界への入り口となったのです。漆黒の世界からの脱皮だとも言えるでしょう。

ただひとつだけ理不尽だと納得出来ないことが。校則のひとつである制服を真面目に着こなしていたにも関わらず、部活とは関係の無い教師からスカートの長さを指摘された時でした。

教師からの傷つき体験を経て

真っ白な世界に一粒の黒いインクを落とされたような気持ちに。その黒いインクは私を漆黒の世界に誘っているような錯覚にさえ陥れようとしたのです。

幸い部活仲間の明るさに救われ、真っ白の世界に戻ることが出来ました。ですが絶対白だと信じていることに黒だと言われてとても傷ついたことは今でも忘れられません。

灰色といういわゆるグレーゾーンというところで、折り合いをつけることは最初は非常に困難でした。何かと理由をつけて白か黒かに染まりたい一心になってしまうのです。

白と黒の中間地点を模索し始めて

ただ心理学を学ぶうちに、白でもなく黒でもなくても良いという考えに至るように。それは、曖昧なまま放置するチカラをつけること。決めなくても良いことは放置でも良いということ。

ひとつ学ぶたびに白と黒を必ず分けなくても良いという感覚が身についていきました。特に学んでいる時にはノートに書く練習を必死にしました。

学びの時間以外では決めなくても良いという解放を自分自身に見出したのです。解放されることで責任を負う必要も無くなるので肩の力が抜ける感覚を覚えたのです。

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MUST思考

mustという単語そのままの意味ですが「〇〇しなければ!」「〇〇すべき!」という感覚。それも生死を決めるがごとく、〇〇しなければ生きられないとさえ思うのです。

mustに支配される

思い込みだとか周囲に言われつつも断固として信じて疑わないという姿勢を貫きます。もっとラクに生きられるのにmust思考に支配されてしまいました。

本来ならば自由な発想だって許されるはず。あえて、そうしないのは自由じゃないという世界に閉じこもっているから。自由な発想に切り替えようと思っても、なかなか難しいもの。

急に〇〇したいから、という発想を持つことは難しいのです。自らの発想が〇〇したいという欲求を満たすために思考を解放することが怖いのです。

毒親からの受け売り

must思考という種類の恐怖に支配されていたとも言えますね。must思考に支配されていた時期とは、どのようなものだったのでしょうか。

友人や同僚と軽い世間話のはずが、いつのまにか理性が飛んでしまって「〇〇すべきことだよね!」「それは〇〇しなきゃダメ!」という結論係に転じていたのです。

これも毒親である両親からの受け売りだと確信しています。幼いころから習い事の練習を曖昧にしていると「〇〇しないとダメ!」「〇〇すべき時だから!」という罵声が。

妥協点を模索中

今は〇〇しなければ、という期間がずっと何年も続いたことが影響しているのです。宿題をしなければダメ!今のうちから勉強をしないと後で困ることになる!という指摘の数々。

規則だから、守るべきものだから。〇〇すべきという言葉もこの時期に覚えていったのだと記憶しています。いわゆる「べき」言葉がmust思考なのです。

まだ完全にこの思考から脱出しているとは言えません。でも毎日一歩ずつ土を踏みしめるように苦しくもがいていますが、いつかきっと妥協点がみつかると信じています。

まとめ

AC(アダルトチルドレン)の性質は本当に沢山の特徴があります。今回ご紹介したクセは以下の通り。

  • 白か黒か
  • MUST思考

まだ書ききれないほどのクセや特徴があります。ほんの一部ですが体験をもとにした学びを記録しようとすると必然的に文字数も多くなってしまいます。

クセと表記するのには理由が。それは病気などではなく性質だからです。確かに世渡りが下手だったり二次的症状として病気になってしまう危険性も。

だからこそ、ひとつずつ丁寧に伝えたいのです。明日に生きるために!

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