AC(アダルトチルドレン)はナゼ自分の価値皆無で断れない体質なの?実体験からクセを解き明かしてみよう

ある日、心理カウンセリングにて「あなたは、AC(アダルトチルドレン)ですね」と言われました。ACとは幼少の頃からの家庭不和を生き抜いた証のようなものなんです。

家庭不和とは機能不全家族とも言われる部類のもので両親の離婚まで毎日が戦争でした。物心ついた時にはすでに人生に悪影響を与え続けた毒親という存在も関係します。

両親ともに毒親体質だったので影響は絶大なもの。さらに両親のそれぞれの親(祖父母)も毒親体質だったため世代間連鎖を兼ねた機能不全家族だったワケです。

AC(アダルトチルドレン)は毒親の存在と機能不全家族という環境で育った証となります。アダルトチルドレンという性質を実体験から特徴的なクセをご紹介しましょう。

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自分には価値が無い

私には、そもそも存在価値さえ無いのだと思っていました。どうせ私なんて、という卑屈になるよりもひどい状態。私自体を完全否定していたのです。

無機質な過去

存在価値が無い、イコール消えても良いものというスタンス。過去を振り返ると色んなパターンが見えてきます。過去の出来事に感情は存在したのでしょうか。

実は非常に無機質だったような気さえします。これにも両親が絡む要素がタップリあるのですが。何をしても褒めてもらえない、認めてもらえないという状況。

その代わり、間違いに対する指摘は確実に的確に受けるワケです。「近所に聞こえるから大きな声で話さないで!」「隣に聞こえるから泣くな!」という言葉の数々。

ダメ人間になり果てて

話すのも泣くのもダメだという指摘は確実なのです。間違いを正すことが親の役目だと思っていたのでしょうか。ただ褒めることを忘れたまま否定を続けるとどうなるのでしょう。

私のように「結局はダメ人間なのね」という結論に至るのです。これが物心がつく2~3歳からずっと言われ続けるのです。時代背景も影響したのかもしれません。

当時は習い事で段階的に階級が上がっていき、クラスも〇〇級クラスという風に区分けされていました。

期待することを諦めたこと

「同じクラスの〇〇ちゃんは〇〇級クラスで、すごく努力家よね」「それに引き換え何?お前の出来損ないぶりは」と常に比較対象が手の届かないような賢い子たちだったのです。

「お前が悪い」「お前は〇〇しないから」と悪い事に対する理由付けもハッキリと言い切られるので、言い返すことができませんでした。

結果、自己評価は最悪。たとえ偶然にもクラスの成績や順位が上がったとしても親に褒められることは期待しなくなります。その代わりに褒めてくれる先生という存在が。

褒める?お世辞?

ただし褒めてくれる存在が先生であっても、既に自信喪失状態です。先生が褒めること全てに対して「ただのお世辞」程度にしか受け取ることができません。

先生が慰めてくれているのだと勘違いするまでに。そんな流れから余計に「所詮私ってこの程度の人間」なのだと悟ってしまいました。

私の存在価値は私自身の思い込みであるにも関わらず。幼少期からの刷り込みが全てを支配するようになり、中学や高校の大切な思春期を価値の無い時期として過ごすのです。

黒子への目覚め

成人したからと言って180度思考が変換するようなことは無く、むしろ私自身を全否定するという事に慣れすぎて黒子に徹するようになりました。

これが無意識に出来るようになるので、周囲からは本当に重宝がられるという場面も。社会に出れば、存在意義になってしまうから不思議なものですね。

ある時、私の才能を見出してくれた師匠に出会い、その才能を発揮する場所が人前であり公衆の面前だったのです。完全に影の存在として君臨するほど成長した自意識はどこへ?

別人になるという作戦

考え抜いた答えは、捨て身になることでした。公衆の面前でのアート活動はとても自分にそぐわないものだと認識せざるを得ませんでした。

スカウトされたにも関わらず。師匠は私のことを上から下まで完璧だと言ってくれたにも関わらずです。もっと自信を持って良いんだよと言ってくれたにも関わらず。

そこで最大の黒子作戦は衣装とヘアメイクでした。完全に別人になるという作戦。別人なら私自身ではないので、どんな失敗も許されるという考えがあったのですね。

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ダークな世界とキラキラな世界

普段はダークな色が好みなので服から小物まで全て暗い色で揃えていました。街を歩く時も存在を消すかのように端っこを歩くのが得意になったのです。

ただアーティストとして公衆の面前に出る時はゴールドやシルバーといったキラキラと反射させる素材の衣装に。完全に私自身を忘れるために工夫をしました。

頭はウィッグ、今や整形メイクとも言えるような派手な化粧を施して臨んだのです。師匠は才能があると褒めてくれる一方で「これは本当の私じゃない」と思ったものです。

別人のなれの果てが惨敗経験

偶然にもプロを目指す大会に推薦されて出場することになったのですが。地区大会から始まり、何度かの予選の後に結局全国大会出場という流れに。

別人に成りすましているつもりの私は「本当の私じゃないから当然なのかも」という思いしかありません。さすがの全国大会では我を忘れるくらいに緊張してしまい惨敗。

それが本来の私だと悟ってしまう要因にもなりました。失敗から立ち直るというよりも、才能があるという言葉を信じていたと思うと本当に消えてしまいたくなったものです。

謙遜の達人に

その後、プロとして活動を始めるものの「仕事としてアーティストになりきれない価値の無い私」という感情が付きまとってしまい、結局フェイドアウトに。

所詮は裏方が好みだし、私には似合っているんだと思うことで納得していたのです。黒子に徹することが美学となっていき私自身の価値を下げることで更に強固なものに。

やがて謙遜の達人と呼ばれるほどに。「そんなことありません」「今回は偶然なんです」という類の言葉がスラスラと出てくるようになりました。

過去は変えられないが未来は変えられる

結局、本当に何がやりたいのかを自発的に考えることが出来なくなりました。そもそもやりたいことって何?の世界で、いつまでも見つからないのです。

そこで心理学を学ぶうちに、過去は変えられませんが未来は変えられますという言葉を知る事に。未来を変える、変えられるというのは希望がある言葉に聞こえますよね。

過去に戻ることも出来ませんし過去は変わらない。でも今から、これからの未来は私自身の価値を考え直す機会となり価値がないと思うことを止めてみることなのです。

ゆっくり一歩ずつ進むこと

今の私の場合は、過去は失敗の連続で存在価値も無く消えても誰も気にしないようなイメージをもっていました。ですがこうして過去を振り返ることができるように。

亀の歩みかもしれませんが、ある意味で過去との決別ができたのではないかと考えるのです。やりたいことは、これからゆっくり考えていきましょう。

その前に今から考え方を変えてみることです。一歩ずつでOK。時には立ち止まっても良いんです。

ポジティブな言葉に導かれて

過去を見たり、後ろを振り返ったりすることは出来ても、その地点に戻る事は不可能。それなら明日のことを考える方がよっぽど実践的ですよね。

前向きに少しも考えることができませんでしたが、毎回心理学を学ぶ上で先生が言う言葉が必ずポジティブだけ。ポジティブオンリーでした。

マイナスやネガティブな思考を少しずつ排除出来つつあります。今は突然動けなくなって仕事に行けなくなったことや、日常生活を満足に送れなくなったあの日を思い出すのです。

ツラくて悲しいあの日のことがあったからこそだと。あの日があって良かったと思えるように。あのまま無理していたら私は今頃きっとこの世にいないはず。

希望を見出すこと

確かに、現実問題は目の前に常にあります、思考回路自体が全否定だった私が変われたのも、私自身に価値を見出せるように心理学で向き合ってくれた先生なのです。

私自身に存在価値がある、という確信に至るまでには少し時間がかかりそうです。専門分野の先生にコーチングしてもらうことによって実感を得たことは。

  • 受け入れてもらえた
  • 認めてもらえた

徐々に、本当に少しずつではあるものの変化していけるという希望が見えてきたところです。

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断らない、断れない

基本的に頼まれることは断りません、というよりも私は実質断れないタイプ。わかりませんとか助けてほしいという言葉も大の苦手で言えません。

断るという概念が皆無

断るという概念が無いという面も。対人関係が苦手なので上手く断る理由も見つけられず。沢山の仕事が目の前にあるにも関わらず「良いですよ」と頼まれることが多かったのです。

結局私は受け入れる側としての業務的な負担は重くなるばかり。私が私自身の首を絞めることになるのですが。断れない性格だと変に割り切っている部分も。

心理的な特徴や原因はどこにあるのでしょうか。

情に弱いタイプ

断らない事は仕事相手や仲間である相手に対して。拒絶することができません。断れないので「優しいね」「たよりになる」と言われても断り方をそもそも知らない。

頼み事をしてくる相手といのは威圧感もスゴイんです。受け入れずにはいられない状況をつくられ包囲されます。情弱タイプと言えるでしょう。

断り方を知らない、そもそもの断るという行為が出来ないのです。断るという概念が無いと言いましたが、唯一人生の中で断りたい瞬間があったのです。

上司からのパワハラ

ある日の休日。前の日は遅番で帰り時間も真夜中を過ぎていました。ただ翌日がお休みということもあって疲れを癒す休日にしようと思っていたのですが。

朝から鳴りやまない携帯に起こされたのです。「〇〇ちゃ~ん、寝てた?ごめ~ん今日出勤お願いしたいんだけど」という電話の相手は威圧的な雰囲気満点の上司からでした。

何の権利があって、休日出勤を当日に依頼してくるのか全くワケがわかりません。この時も当然のことのように休日出勤できるに決まっていると主張する上司に対して私は。

断る理由が見つからない

モゴモゴと何を言いたいのか、断る理由を見つけれないのです。上司VS私。どちらに軍配があがるのかは明確。この時ばかりは後々まで後悔したものです。

なぜなら代休という提案さえ示されなかったから。おかげさまで2週間以上もの連続勤務は当たり前に。今ではブラックだと簡単に言えますけど。

断らないことによって、相手にもよりますが特に仕事の場合は、いつも頼もしい仕事丸投げの相棒という存在になってしまう可能性が。

必要とされていることが生きがい

何よりも相互的な自立に繋がりませんよね。仕事相手がいつまでたっても業務内容が覚えられないという状況に陥る可能性だってあります。

本来なら断らないという優しさは程々に、とは思いつつ頭のどこかで認識しているハズ。なぜ断らないのかというと、必要とされていることに生きがいを感じられるから。

承認欲求が満たされるというワケなんですね。いつものパターンとして定着してしまうと、仕事を頼む相手として定番化したり。そして頼ることが当たり前に。

依存と解決能力

何より最初はあんなに喜ばれて有難いと言われていたこともウソのように消え去るのです。さらに相手から依存され続けるというキケンな関係に。

断れないとウラには黒い影が。本来なら解決すべきは私じゃないのに、余計な仕事を背負い込んでしまったばかりに机の上の書類は溜まる一方で。

書類が積まれた机を見た上司は仕事の能率が低いとか、解決能力が無いのではないかという疑惑を持ってしまうのです。断れないからこそ悩むことが多くなる悪循環。

断れない状況を誘発

悩みを背負ったまま、どうしたら良いかわからなくなったり混乱してしまうのです。そもそも仕事というのは、それぞれに与えられた業務量をこなすことが当たり前。

それに頼られることは少なければ少ない方が良いに決まっています。ただ断れないウラには放っておけないという無意識の正義が芽生えたりするからなんです。

出来なくて困っているのを見かけると一声かけたりと。断るどころか断れない状況を誘発していることも。その状況を誘発するのは何より嫌われたくないという感情が意図していたり。

コミュニケーションが苦手だからこそ

嫌われたくない一心でしがみついている時もあります。実態の無い確信がどこかにあって、人間関係が苦手であるほど断らないというスタンスを貫こうとします。

そうすることでコミュニケーションが取れるとでも思っているのでしょう。事実私がそうだったように。一回やむなく断ってしまうとひどい罪悪感にさいなまれます。

断ったことでチャレンジした仕事が上手くいかなかった場合は責任を感じます。断ったことへの後悔も。そもそも相手の仕事であるはずなのに。

人格の同一化

私自身の人生と重ね合わせ、他人と置き換えてしまうんですね。相手の人生に成り代わるのです。重ねすぎて同一化してしまって逃れられない。

確かに仕事で助けたという達成感は得られます。それに実質ノルマをこなせたという相手に対しての安堵感も。他人を救ったという気持ちは強くありませんが。

こんな私でも役に立ったのだとか、役に立てる事があったのかという実感を得たいがために断らないという選択をすることも。断らないのおは相手に恩を売りたいわけではありません

ACならではの特徴

通常ならお互いさまということで、何か困ったら恩を売った相手に対して過去を引き合いに出して頼み事をすることでしょう。ですがこれはACのお話です。

実際には断らないことと、次に頼めるからというのはイコールではないのです。この点が通常との違いでありACならではということなのです。

優しくて気配り上手だと言われて余計に断れなくなったという事情もあります。休日出勤を依頼してきた上司は、人をチェスのコマのように自由自在に動かせると考えている様子。

通常出勤していても、私以外の人に「〇〇ちゃ~ん」と猫なで声で声掛けしていましたから。

誤解と嫉妬

断れないタイプとして誤解されやすい点は、普通にしているつもりでも点数稼ぎだと陰口を言われたりして関係のない問題に巻き込まれたりすることです。

要するに陰口は嫉妬ですよね。頼りにされない上司としては、断らないタイプの私が気に入らないという気持ちもわかるのですが。

ACならではの特徴として幼少期からの背景が見え隠れします。例えば両親の考え方が絶対的だったり、幼いながらも考え方を主張しようとすると「だまれ」の一言で終了。

自分自身のカラに閉じこもる

結局気持ちのやり場が無く、私は自分自身のカラの中に閉じこもることに。大人になって断れないという背景には、孤独だから断るという概念も無くイヤだと言えないんです。

ハッキリと「できません」という発想もありませんから伝えることさえできません。心理学を学ぶ上で最初のテストの時に他人との境界線がオブラートだと言われました。

まさに私には他人との境界線が無いのです。

境界線がオブラートだと言われたショックな話はコチラから

先読みの恐怖

自分は自分で他人は他人という考えがありません。ですから一心同体や運命共同体という考えに陥ります。他人を自分化してしまう傾向にあると他人ごととは思えないのです。

まるで我が身に降り注いだ問題のように考え、解決策や対策を取り始めたりすることは珍しくありません。他人の考えを先読みして「どうしてわかったの?」と言われることもしばしば。

まるで超能力者のように言われました。気遣いが度を越えるとはこういうことなんですね。結局「わかったのなら、じゃあやってくれる?」となるワケです。

断り方を模索する

断る方法を模索する必要がありますね。「今忙しいんです」「今は出来ません」「私は別の仕事があります」など一言で済むような簡単なことから言う練習をするのが良いですね。

内容によって変化球も必要。簡単な事なら良いのですが、難しいことを依頼されたりと、断れない状況も多々あるものです。何しろいつも断らずに生きてきましたから。

そういう場合は「少し時間をください」「少し考えたいです」といった言葉を使うのがベター。相手に状況を伝えることで断れないという状況から少し離れることが出来ます。

上級テクニックは不要

時間稼ぎだと思われても構わないのです。少し考えた後に断らないという選択肢もありますし「断る権利」も同時にあるのです。上級なテクニックが必要でしょうか。

もっと簡単に思考転換しても大丈夫。断る時や考える時間を貰う時に急な態度の変化に相手も戸惑うはず。その時に「どうして?」「なぜできないの?」という理由を聞かれる場合も。

そんな時はどうしたら良いのでしょうか。実はテクニックも必要ないですし理由さえも要らないんです。もともと相手の仕事だったのですから。

ただ、繰り返すだけで良いんです

頼まれることが習慣化していて、私がどれほど大変な目にあっているのか知っていますか?なんて言わなくても良いんです。たった一言で良いんです。

  • ごめんなさい、できません
  • すみません、時間をいただきたいんです

上記の言葉を繰り返すだけで良いんです。理由なんてつける必要はありません。事情は人それぞれ。ただし、部下にあたる人の場合は話が別になりますね。

指導する立場にあるのですから。「今回はちょっと助けられません、ごめんなさい」と言い方を少し変えることで伝わります。

ストレスの元をつくらないこと

これらが言えたら本当にうまくいく仕事も多かっただろうと後悔しています。お断りの言葉を学ぶのに、その職場から離れて更に数年かかりました。

何よりもストレスが一番の大敵です。断れないことで積もってくるストレスは相当なもの。「いつまでに〇〇を」さらに「これは〇〇して」という風にがんじがらめに。

断ることのメリットとして意思表示につながるようになっていきます。意思表示をするということはNOという信号を出すことです。でも、どこからどこまで?

直感を信じて生きやすく

今までの経験から思うのは、直感でイヤな予感がしたりするときにいは断る立場を選ぶことです。今後は私も少しずつ練習していきます。

断ることで仕事や人間関係に境界線がうまれて円滑にすすむ可能性も秘めていますから。人間関係はコミュニケーションが全てと言いますが正直なところ疑問です。

全てではないはずです。最低限の意思表示を示すことによって余計な気苦労を背負い込むことが減っていけば徐々に生きやすくなることでしょう。

まとめ

AC(アダルトチルドレン)の性質は本当に沢山の特徴があります。今回ご紹介したクセは以下の通り。

  • 自分には価値が無い
  • 断らない、断れない

まだ書ききれないほどのクセや特徴があります。ほんの一部ですが体験をもとにした学びを記録しようとすると必然的に文字数も多くなってしまいます。

クセと表記するのには理由が。それは病気などではなく性質だからです。確かに世渡りが下手だったり二次的症状として病気になってしまう危険性も。

だからこそ、ひとつずつ丁寧に伝えたいのです。明日に生きるために!

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